夕立の上がった小路の水溜りに
僕は小学校一年から六年までの間、、毎年夏になると夏休み40日のうち30日くらいは金沢八景に住んでいる伯母の家へ一人で泊まりに行っていた。
その家のおっちゃんは市バスの運転手で、おばちゃんは市場の惣菜屋で働いてた。一番上の長男はもう働いていたし、高校生の次女はあんまり家にいない人だった。末っ子の次男が中学生で僕と時々遊んでくれたけど、夏休みでもバイオリンのクラブ活動に熱心だったから、昼間はほとんど家に人がいなかった。だから僕はいつも一人でゴロゴロして、小銭を片手に片道30分歩いて貸本屋へ行き、10円で漫画を一冊借りて、10円のアイスキャンデーを齧りながらまた30分歩いて帰った。
あの頃は八景島なんてもちろん影も形もなく、野島公園の先はきれいな砂浜の海水浴場だった。時々一人で泳ぎに行って、海の家のおっちゃんと仲良くなって、金も払わずシャワー使わせてもらったりした。八景は遠浅の静かな海で、20円の冷やしラムネを飲みながら入道雲の湧き上がる水平線を眺めていると、時々横浜港へ向かう大型船が遠くに見えたりした。「海水浴」なんていう美しい日本語がまだ現役の時代だった。
何をするにも一人だったけど、毎日毎日飽きる事なんてなかったし、毎年夏はあの家へ行くのが当たり前になっていた。その家は小さな庭と、小さな縁側と、小さな土間と、狭いトイレのある古い日本家屋で、玄関の横には使わなくなった火鉢に水を張って金魚を飼っていた。国道16号から細い路地を入っただけなのに、辺りの道は舗装なんかされていなくて、土の道に草や木が生えていた。まだそういう時代だったんだな。
夕方になると、従姉の姉ちゃんと市場へ夕飯のおかずを買いに行った。叔母が働いている総菜屋へ二人で行って、コロッケやてんぷら買うのが楽しかった。買い物かごを提げ、茜色の空を背に二人で家へ戻ってくると、西側に向いた家の壁に沿って白粉花がいっぱい咲いていた。
毎夕ブリキのバケツに水を汲んで、柄杓で花に水をやるのが僕の仕事。狭い庭の花に水をぶちまけてから、家の周りにびっしり咲いている白粉花にも水を撒く。白や、黄色や、濃桃色の花が水を貰って活き活きと喜ぶ。手桶に石鹸を入れて銭湯へ行く時その横を通ると、白粉花の匂いが路地いっぱいに香ってた。
この伊豆の庭にも毎年白粉花が咲く。国東を出て来る時に種を集めて持ってきた。紅い花は順子の家の門の周りに咲いていた種。白い花は誰も住まなくなった隣家の庭先にあった種。そうして国東の種から育った花は毎年少しずつ拡がって、今は庭のあちこちで夏の香りを漂わせている。
白粉花の花は夕方になるとひっそりと開き、翌朝、陽が昇ると眠るように閉じる。真夏の花なのに太陽を避け、密かに夜の間だけ咲くから、種の中があんなにも真っ白なのか知れない。
白粉花の香りは懐かしい香り。夕立の上がった小路の水溜りに漂っていた香り。銭湯へ向かう人の下駄の音が響く路地の香り。貸本屋の漫画を手にした小学生の僕が、時間ごと取り残された遠い遠いあの夏の香り。あれが、僕の夏だったんだな。
今年ももうすぐ白粉花が咲く。
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