足助のおばさん 田舎暮らし 227
今年の国民文化祭が来年に延期になったとラジオのニュースで言っていました。えらいこっちゃですが、まだ詳細はわかりません。
「国民文化祭」と言ってもなかなか通じないですが、「国民体育大会」と言えば皆さんよくご存じでしょう。各県回り持ちで全国的に運動会を行うわけです。愛知県で「わかしゃち国体」が行われたのは1994年らしいので、私の個人的な記憶ともばっちり一致します。
当時はまだ足助町という独立した町だったのですが、年に1度「町民体育大会」が開催され、私も「レクバレー」という男女混合のママさんバレーのような大会に出場していました。私は中学生の時にはバレー部に所属していましたので、3本のうち2本はサーブを入れることができたので、貴重な戦力でした。
「レクバレー」は季節限定でしたが、「わかしゃち国体」の時、足助町がインディアカの受け入れ地域になったとか何とかで、足助町を挙げてインディアカに取り組むことになりました。バレーボールとバドミントンを足して2で割ったようなスポーツです。毎週土曜日の夜に練習に出かけるのは、専業主婦だった私には息抜きとして適切だったとともに、この時のチームメイトがのちに私の英語教室に子どもたちを通わせてくれたので、地域で生きる大きな紐帯であったと言えます。
試合が行われる時には、4チームずつのリーグ戦で、対戦のないチームから審判とラインマンを出すというルールもあり、私もラインマンとして、シャトルがコート内に落ちたか否かとか、サーブを打つ選手の足がラインを越えていないかとか、ジャッジをしていました。
まあ、仲良しこよしで楽しんでいるゲームだったのですが、ある時私が、サーブを打つ人の足がコート内に入っていると指摘した時点でセットカウントが終わってしまったことがあり、何か出過ぎたことをしてしまったかと少し後悔したことがあります。しかし、次のゲームで他のチームから選出されたラインマンさんが、私同様厳しい指摘をなさる方で、非常に救われた思いがしました。
およそスポーツに縁遠い人生でしたが、スポーツマンシップというものがとても気持ちの良いものだと実感した数少ない出来事です。(2020年6月23日 記)