足助のおばさん 田舎暮らし 57
私は基本的に無神論者ですが、常識の範囲内ではそれなりに頭を下げたりはします。ECCジュニアでクリスマスパーティーをやった時などは、簡単なお祈りと「アーメン」ということさえやってました。しかしこれまで「南無阿弥陀仏」と口に出して唱えることは、どうしてもできませんでした。
我が家の宗旨は東本願寺大谷派だそうです。仏様をお参りする時には必ず経文にかなと発音記号をつけた本が差し出されるのですが、これまではそれを見ても、お数珠を握るだけで、お経を唱えたことはありませんでした。それが、おじいさんの葬儀にあたり、とてもスムーズにお経を唱えている自分がいました。それが何を意味するかは自分でもよくわからないのですが、喪主の妻という立場からだけだったとも思えないのです。
私は、キリスト教会でバイブルと一緒に英語を学んだので、一般の日本人よりは聖書の内容に通じていると思うのですが、聖書の話を聞くたびに、「ああ、自分はブディストだなあ」と思ったものです。イエスの奇跡よりは、シッタータの出家の方がより身近に感じられるのです。
実は、おじいさんの葬儀と全く重なる日程で、足助の名刹の一つ、平勝寺で17年に1度の国宝の御開帳がありました。私は、書くと長くなりますが、この平勝寺さんと懇意にしており、御開帳を楽しみにしていました。この平勝寺のお庫裏さんとそんな話をしていた時、「日本人に、宗教は?と聞くと、宗派を答えられるのよね」とおっしゃっていらっしゃいました。宗派はどうあれ、仏教徒であると言う自覚を持ってほしいと。そんなことも私に初めて念仏を唱えさせたのかもしれません。
ちなみに、日本共産党は信教の自由を保障していますので、その点は全然問題ありません。(2008年9月18日 記)