足助のおばさん in Brisbane 13
実は、学生時代は私は英語が苦手でした。
英語を習い始めたのは小学校の4年生で、毎週楽しくレッスンに通っていたのに、中3頃から次第に文法の理屈とスペルが苦手になり、高校生時代の成績はひどいものでした。大学生になってからも、英語の授業にちゃんと予習して出席したり、なんてことはほとんどなく、ぎりぎり単位を落とさない程度にしか勉強していませんでした。
なかでも仮定法には散々な目にあっていたのに、Shafstonでの授業はもろif節についてでした。「If I were a bird ~」と言うやつですね。
ECCジュニアをやっていたくらいですから、しゃべることには多少人様より自信がありましたが、相変わらず文法についての理解は低かったのに「パーフェクト パースト」とか「パーフェクト プレゼント」とか(これ、間違ってます。)(2023年4月1日追記:「過去完了形:the past perfect tense」「現在完了形:the present perfect tense」のことです)言われて、ああ、日本語で言ってくれ~、と叫びたい気持ちでした。クラスメートの日本人大学生のみなさんは、すんなり理解できたようで、80点満点のテストで70点台をゲットしていたのに、私は半分もできませんでした。
と言うわけで、日本に帰ったら受験参考書で勉強しなおそうと心に決めて、夫にメールで赤チャートを買っておいてくれるよう頼みました。しかし、なかなか出かける前のように机に向かう時間がとれず、うっちゃったままにしてあったんですが、昨日やっと参考書の「if」の項を開いたら、練習問題含めて2ページで終わってるんですね。肩すかしもいいとこです。私があんなに苦労したことがたった2ページの記述だなんて!
でも、最終的には「certification」をいただいて来ましたので、テストの結果だけが判断基準ではなかったようです(1週間先に終了した日本人女性は「memory」でした)。無遅刻無欠席はもちろん、授業中は常に積極的に発言しておりましたので。
中でも、Aita先生は、自由に作文を作ってくれば添削してくださると言ってくださり、私は自己紹介からShafstonでの出来事、その他宿題を差し置いても作文の添削をしてもらってました。宿題もテストも、別にやってなくてもできが悪くても咎め立てされるようなことは一切ありませんでした。(2009年10月1日 記)
(元ブログ ifという難題 (in Australia): Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)