覚えていてね

10月は母が亡くなったこともあり、ひときわ感慨深く感じる月だ。毎年10月になるといつも以上に母のこと、特に息子を溺愛していた母を思い出す。

娘が産んだから孫だからか、曾孫でもおかしくない年齢で出来た久々に生まれた孫だからか、息子にはありったけの愛情を注いでいた。
息子が生まれてすぐ、母は卵巣ガンがわかり手術をした。腎臓が良くなかった母は、後に透析治療も開始した。ガンと透析治療という若い年代でも心身ともに苦しい状況のなか、息子は随分心の支えになっていたようだ。卵巣ガンの手術後、化学療法で髪が抜けてしまった母に、何て声をかけようと思っていたところ「この子の髪型と似てる!」と、まだ赤ちゃんだった息子を見て楽しそうにしている姿を目の当たりにして力が抜けた。そして息子といる時間が楽しくて仕方ない母の姿を見ていると、「未来そのもの」の息子と「余命」を考えざるを得ない母の対照的な姿に、どうやって気持ちを落ち着かせていいかわからなかった。

数年後に母の余命が3か月と兄から告げられた夜、息子が寝息を立てているのを確認して、わたしはやっと泣くことが出来た。母を失うことへの恐怖と不安しかなかった。それからお見舞いに行くたびに「あと何回会えるかな」としか考えていなかった。

その日は予想より早くやってきた。仕事中に突然きた兄からの連絡に、気持ちが動転した。とにかく息子を学童に迎えに行かなくては、そして忌引きで休みますと学校にも連絡しなくては。学童に迎えに行くがてら、息子の担任に連絡すると「実は午前中に気分が悪くなって、保健室で少し休ませました。」と聞き、母が最期まで自分の想いを伝えたかったのは息子なんだなと感じた。

母はとにかく気を遣う人だったので、親しい人だけでお別れを言う友人葬にした。家族の予想を超えた人が参列してくれた。喪主だった兄は参列者に挨拶した後、息子を前に呼び「生前母が一番愛情を注いだこの子の手紙で、喪主の挨拶を終わらせて下さい」と言った。当時小学校低学年だった息子の手紙にはこんなことが書かれていた。

「ババ、いつも優しくしてくれてありがとう。おやつをいつも買ってくれてありがとう。優しくしてくれたね。大好きだよ。さようなら。」

母がニコニコしながら「よく出来ました!」とどこかで見ている気がした。

先日夕食を取りながら、「おばあちゃんのどんなことを覚えている?」と息子に聞いてみると「優しかった。オレは小さかったけど、いつも大好きとか私の宝物っていっぱいいっぱい言われて、しつこいよ!って思った」と笑いながら答えが返ってきた。「しつこいとか言ったら、おばあちゃんがすんごい怒りながら夢に出てくるんだよ」とわたしも笑って答えた。

優しくて、あなたのことをいつも「宝物」と呼んでいたおばあちゃんを、大きくなっても覚えていてね。これからの人生が長いあなただけど、なかなか「宝物」なんて呼んでくれる人には巡り合わないんだから。

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