「同調圧力」は形を変えるだけだ
昨日、友達に誘われてマッキャンエリクソンのイベントにお邪魔してきた。
※マッキャンエリクソン=外資系広告代理店
テーマは「ニッポンのキブン」
平成から新時代になるということで、平成という時代について、昭和生まれと平成生まれでディスカッションしたり語り合う場所である。
(と言っても、パネラーの講演会だったが)
ゲストは豪華で、現サイバーエージェントの次世代若者研究所の原田曜平さんとかが出演していた。
話の内容は、大まかにこうだ。
昭和:義理、温情、同調
平成:個人、冷たい、合理的
したがって、令和は、多様性を認めつつ、受け入れることが大切ではないか、という結論で着地していた。
いや、だが待てよ
多様性が受け入れられる時代なんて本当にくるのだろうか。
そんなこと期待できるのだろうか。
確かに、個人の価値観や考え方をSNSなどを通してオープンに晒せる時代にはなった。
恋愛対象や女性の社会的立場など、だいぶ寛容になりつつある社会にはなってきた。
だが、この「自由」の風潮が浸透してくると、「非自由」に対するイジメが起こるのではなかろうか。
例えば、キャリア。
近年は、企業で一生勤めること、もしくは企業に就職すること自体が正解ではない時代になった。
若いうちから起業したり、個人で発信して生計を立ててる人も出てきた。
しかし、この「自由なキャリア思考」が浸透しつつある中で、会社に勤めている人を「社畜」と呼んでバカにしたり、会社に勤めることへのヘイトを吐いたりする自由を履き違えたバカも湧き始めた。
自由が歌われ始めたこの時代に、安定が淘汰されるような風潮が出てきてはいないかと思っている。
同調圧力は、昭和から形を変えただけでまだ色濃く残っている。
自由への同調。
根本的思考は、一生変わることはないのだろうか。
これからの時代に期待すること、僕はない。
日本に拘る必要もまた、ない。
世界は広い。だからこそ、選択肢も広がっている。
薄っぺらい自由論を無関心ながら受容する心を持ちつつ、これからも自分のキャリアパスを描いて行こうと思う。
今、いい状態なのだから。
また更新します。