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渡る中国にも鬼はなし(32/67)

第4章 中国第3日目 蘇州->上海->昆明 
龍門

 
 昆明空港に降り立ったのが中国3日目の午後2時半ころでしたので、早速20kmほど離れた所にある、昆明湖と西山の龍門を見学に出かけました。昆明湖は山を登っていく途中のバスの中から眺められたのですが、龍門は崖っぷちにあり、私の車イスではとても行けないことは分かっていましたので、バスでお留守番をしていました。

昆明湖

 昆明湖は海抜1885mにある高原の湖。大きさは琵琶湖の約半分。北側湖畔には木造3層の大観楼があり、ここから漁をする帆船などおだやかな漁村風景が楽しめる


 障害を持つというのは、自分1人でできなくなることが多くなるということです。だからといって卑屈にになる必要はないと思います。できないことに挑戦し、新たな発見をすることにも意味があることです。しかしながら、団体旅行でそのことをするのはいささか場違いということであり、たとえバスの中に1人取り残されようとそれなりの楽しみ方があったのです。
 
龍門

 清朝の道士(道教の僧)「呉来清」らによって、1781~1853年にわたり断続的につくられた。断崖絶壁をくりぬいて造られた洞道や別有洞天と呼ばれる1333段の石段を上り詰めたところにある。



 みんなが龍門の見学に出かけて、バスの中には運転手と私だけになりました。見知らぬ若い男女が狭い密室にいると、きっとロマンティックな展開があったかも知れませんが、人一倍いかつい男性の運転手でした。

 たしか出発前の壮行会の折り「人一倍いかつい中国の運転手とは友好交流をしなくてもよい」とだれかが言ったような気がしたので、私は何も話しかけませんでした。



 しばらくすると運転手は、手に茶がらの沈んだネスカフェーの大きな空瓶のようなものを持ち、バスから出ていきました。(1999年当時ではよく見られる光景でした)それは運転手が飲むお茶で、どこかの売店から出てくると、瓶にはなみなみとお茶が入っていましたから、きっとその売店で補給したのでしょう。その後運転手は外の門のあたりに腰を下ろし、新聞を読み出しました。その顔には、どことなく生活の匂いがし「今日の仕事が終わったら、えっとあれをしてこれをして――」というような思案をしている雰囲気を感じました。そこには確実、中国人の日常生活のにおいがしたのです。

 その日は日曜日でしたので、我々日本人観光客だけでなく、あたりの中国人も観光にやってきます。持ち物を見ていますと、立派な一眼レフのカメラを持っています。私のカメラは「押すだけヨ!」みたいな友達から500円で買ったカメラです。さらにはビデオカメラをぶら下げた中国人もやって来ました。みんないい機材をぶら下げています。私は友達から500円で買ったカメラを思わず隠したくなったほどです。

 さらに見ていますと、こういう観光地ですので、民族衣装を着た物売りが、キーホルダーのようなものをたくさん手に持ち、あたりの中国人に売りつけていますが、まったく相手にされません。それでもひるまずだれ彼なしに売りつけています。この龍門の近くには少数民族の村がありましたので、その物売りもそういう衣装をしていたのでしょう。

 私以外の一行は龍門の一番上まで行ったようですが、その一行がバスに戻ってきました。そうするとめざとく物売りがバスに群がって来ます。「3枚1000円!」「3枚1000円!」と連呼しながら、バスの窓ごしに乗客に向かって大きな風呂敷のようなものを売りつけています。それは本当に「大風呂敷を広げた」ような商売でした。

 なぜ彼女たちが1000円という切りの良い売価を設定しているかというと、1000円以下の日本円はすべて硬貨になりますが、中国では日本円の硬貨は人民元に交換できないためだそうです。「大風呂敷を広げた」ような商売は延々と続きます。

渡る中国にも鬼はなし(33/67)


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