留学1ヶ月目〜大学編〜
今日は大学で初めて一人でexposéをした。緊張したけど、「聞いていて楽しかった!主題もいいね!」などと嬉しい言葉もかけてもらってちっちゃな成長を感じた日。そんな10月の始まり。
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さて、フランスに来て授業の質の高さに感銘を受けている。それは教授陣の質の高さ、そして生徒の積極性の高さ双方においてだ。前者、2時間本当にノンストップ。小休憩なんてないし、いつも時間が足りなくなっているほど準備されている内容が盛りだくさんの先生ばかり。呼吸しているのかなと思うほど。人を日つける話し方、ボディランゲージの使い方・・・後者、生徒たちの質問の数は驚くべきものだった。挙手がやまらず、少々お待ちよ!という合図や声掛けも多々。体育の授業や、バレエ教室でも同じことが言える。早稲田の時は、間違ってたらどうしよう、とか、私が聞き逃しただけかな、とか色々思考してしまい、大人数の前で質問なんて勇気がなかった。授業って本来、教授と生徒の対話なんだーと、小学校低学年のクラスの風景を思いだす。大教室であっても寝ている人などほとんど見かけない。”学”生という人生に心を込めて取り組んでいると感じ。日本に比べて卒業が難しいということも関係しているのだろうなと思いつつ、彼らの積極性に鼓舞される。
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大学で新しく出会う人たちと、互いに”はじめまして”をするとき。名前とともにどこの国籍?どこから来たの?という会話がセットになっていることが多い。それについて、良い悪いということではなく、少なからず、無意識に「〇〇人」と相手を識別しようとしていることに気付かされた。人種や国籍、宗教で捉えるのではなく、一人一人のかけがえのない存在として捉えていきたいもの。そしてそれが人間の多様性を認め、尊重し合える社会に繋がると思っている。親日国として知られるトルコは、1890年に起きたエルトゥールル号遭難事件(和歌山の漁村民がトルコ人を救援した)をきっかけに、95年後のテヘラン空港事件の日まで命を懸けるほどの想いを持ち続け、多くの場面で、日本の危機を救ってくれた。わずか69名の生存者をきっかけに、134年たった今でも親日国として日本のことを想い続けてくださっているという事実から、敬意と感謝の気持ちは循環し、世界平和に繋がると確信している。人間ひとりひとりのパワーたるや・・・今もなお地球上には人種、国籍、宗教などの対立が絶えない。でも、属性に関わらず一人一人がかけがえのない人間であるということを理解することで、世界から暴力や戦争がなくなる、そして人間は多様でありながら心では通じ合える部分があるということを学び続け、行動し続けたいと思っている。
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言語を学ぶということは、母語のフィルターを通してでしか見えていなかった世界に、多様性があることを気づかせてくれる。思考の変容プロセスそのものだと思う。認知や思考の多様性を学ぶことができる点で、語学力の向上は大きな意味があると信じ、継続して努力したい。そもそも言語は世界を切り分ける効果があり、外に向けられた伝達機能をもつ言語としての「外言」、そして思考の道具、自己内の対話の機能をもつ言語としての「内言」の順で発達していくそうだ。言語はコミュニケーションとしての手段のみならず思考の手段であり、色の知覚やカテゴリーの知覚、時間と空間の認知をも規定する。人間には言語を通して世界を文節化する側面があるのはとても興味深い観点だ。10月、この1ヶ月でどれだけ語学力を上げられるでしょうか!全て私の努力次第!
(フランスの友人が、料理をしているとき、くっついていた野菜に「おい!君たち、仲良しだな〜」と表現していた、キュンとした。)
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何かあったらいつでも連絡してねと言ってくれる子。授業を一回休んじゃったら、寂しかったよ、サバ?と連絡をくれる子。ノートをわかりやすくまとめて快く送ってくれる子。プレゼンの内容を確認してくれて推敲してくれて、より自然なフランス語になるようにアドヴァイスをくれる子。ダンスの授業終わり、わざわざ素敵だったよ!と褒めてくれる子。発音練習に付き合ってくれる子。良しっかり休めた?良い週末を過ごしてね!とわざわざ連絡を入れてくれる子。授業終わりにちょっとでもいいからっと家に招いておもてなししてくれる子。私が好きそうな舞台の公演に誘ってくれる子。優しい子が多すぎる、、この1ヶ月で何百回Merci言ったかわからない!それくらいありがとうに溢れることをしてもらった。書き出したら止まらないくらいたくさんの人にお世話になっている。感謝を忘れずに、10月も思いっきり学んで遊んで踊って食べて、素晴らしい月にしよ!