広報目線で #個人起点 について今考えていること
先日、 #個人起点 というキーワードを知った。いわゆる「アンバサダー」「エバンジェリスト」も含め、個人活動含みで企業の発信をしてくれるメンバーと、広報やマーケティングなどオフィシャルな発信を期待される職種はどう連携していくか、の話である。
企業の言うことよりも、個人の言うことの方が伝わる時代であるというのも言われて久しい。だからこそ、広報や人事(採用)やマーケティングにおいても、いかに皆を巻き込むか、の話が盛んだ。
私もつい先日、流れてきたツイートにかぶせて以下のツイートをしたばかりだった。まさに今考えたいテーマと重なっていた。
まだまだ思案中だが、今考えていることをまとめておく。
広報職は、薬にも毒にもなる
今の所属会社においても、自分から熱心に情報発信をしてくれる社員がいる。幸いにも小さい会社で、わからないことがあったら聞きにきてくれるなどコミュニケーションも都度できているので、とてもありがたい。私だと絶対に届かない所に拡散してくれている。
もちろん、職種が違うので発信の内容や目線が違うことは当然ある。例えば、広報職の立場からすると現場目線に寄りすぎている内容だったり、今後掲げたい会社像を表現するために広報職は積極的に使う言葉を使えてなかったり。
私の場合、以前はそれがストレスだった。
先日、会社の名前をつけたSNSアカウントを社員が作っていて、その作成を後で知るということがあった。
アカウント開始直後でキャッチアップできたこと、そしていろいろ狙いを聞くに会社オフィシャルと銘打ってアカウントを作る(個人アカウントでやらない)ことが事業目線で必要なことは、きちんと理解できた。とはいえ、それを作る前に広報へ一言言って欲しかったな、というもやもやも少なからずあった。
でもそこで、気づいてしまった。「自分は広報職を聖域化しているのでは」と思ったのだ。
広報は事業ありきで成立する。過去の経験上、中身のしっかりしていない会社の広報は絶対にうまくいかない。そもそも、経営や事業に貢献するために広報職はいるはずだ。
広報職は高次な視点も必要だし、ちゃんとやっている人ほど自分が高い視座や果てしない努力を重ねている自負を持っている印象がある。もともと会社内での人員が少なく周囲に理解されにくいことなどもあり、高い自負が聖域化を助長させている可能性がある。
そして、聖域化すると、広報職が関わることで「ブランドにそぐわない」などの制限が増え、かえって事業の成長を妨げてしまう事態になりかねないのである。さらには、聖域化しすぎることで、メンバーの広報への理解もさらに得られにくくなってしまう。
広報を会社の中で「偉い」仕事にしすぎないことはとてもとても大事だなと思う。孤軍奮闘している広報職の方には心当たりがないか、1度振り返ってみてほしい。少なくとも私はそうだったので。
何を発信するといいのかを示す存在に
では、個人起点の流れにおいて、広報職はどう動けばよいのか。
まず大きなところでは、減点法ではなく加点法の考え方へのシフトが必要なように思う。複数人で構成されるチームに同じ人はいないように、同じように動く人がいるわけがない。コントロールは不可能である。その人の個性から来るふるまいを制限してまで、その人らしくないことをやっても魅力的には見えないし、そのようにさせる企業の姿勢も後ろにちらつくはずである。
(もちろん、発信するもの次第でどうしても心がけてほしいことは、時に部分的に指定することもあるとは思うが)
あとは、皆が発信したくなるような働きかけをしたり、実際の発信時に必要な材料や参考になることを用意するのも重要である。
例えば、コメントや写真など、これを使うといいよ、と示したり。こういう人にこう伝えてみませんかと投げかけてみたり、時に実行したり。そういうことが必要なのだと思う。
リモートワークなどが盛んになり、プロジェクト単位で関わる例もますます増えている。一方で、どうしても部分的になってしまうので、全体を俯瞰して捉える役割の重要性が増すはずだ。構成するメンバーの発信を把握し、企業の見ている先とやろうとしていることを踏まえ、企業人格(ブランド)の個性をゆるやかにまとめて形作る存在、が広報職のあり方なのではと思う。
メンバーの輝きが何よりの会社広報
また、もう一つ必要な要素があると考えている。
先日、社外でよくしていただいている広報の方とお会いして、広報PRの話をしていた時のこと。私が会社の代表に理解をもらいながらいろいろ社内外の広報活動を模索している話をしたところ、「そんな理解のある会社なら、すごく興味が湧く」とおっしゃっていただいた。
まさに、こういうのが会社の広報になりうると思った。交流会等でお会いした方々の会社でも、すぐにその会社に興味が湧いてサイトで調べたりすることは稀だろう。発信者の存在から会社を気にしてもらうには、会社でその発信者が輝いている姿を見せることなのではないか、と実感した。
発信者である社員が、やりがいを持って楽しそうに働く姿やエピソードに、「その会社がちょっと気になる」トリガーが宿るような気がする。
だとしたら、まずは社員が輝くような環境を作ること。そして、それを発信してもらえるような流れを作ることが大切になってくる。
やらされでは、熱量は纏えない。その人の基準で、コメントなどに意図を持ってシェアされることに意味がある。私を気にしている人は私の個性を見てくださっているわけで、所属会社の情報を受け取るために見ているわけではない。
会社の情報を、その人のポリシーを感じない状態で流しても、会社アカウントを個人にすげ替えただけでとやってることは変わらないと相手に見られかねない。それはここで言う「個人起点」とは違うものである。
まとめ
●広報職は、考え方次第で薬にも毒にもなる
●社員の個性が大切。加点法でブランドを考えていく
●実際の発信時に必要な素材を準備。発信アイデアも提示する
●社員が語りたくなる熱量を生み出せるようにする。輝く姿に会社の魅力が宿る
この「個人起点」のやり方は、社員の個性、会社の個性が何より大切になるので、会社によって形は全く変わってきそうである。また、考察しながら思ったが、中小企業はともかく大企業だとまた違いそうだ。
引き続き、他社事例も参考にしながら、また思考した結果をまとめていきたい。
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