「自分」を意識しすぎない方が生きやすくなる人の話
私が10~20代の頃は、よく言うとがむしゃらで目の前のことでいっぱいでした。
自分がこう在りたい、自分が社会を変えたい、自分がもっと~をよくしたい…など、振り返ると主語はどこまでも「自分」でした。
トラブルや失敗があると「自分は使えないなあ」「自分はダメなやつだなあ」と落ち込み、なにか嬉しいことがあると「自分もっと頑張れるかも、最高!」と嬉々として喜ぶ。
自分が主人公なので、なんにでも自分にフォーカスが当たります。
非常に分かりやすいですね。それもまた良いところだな(?)と思いました。
30代からの変化
そんなこんなで歳を重ねて、特に30代に入ったあたりから徐々に
「自分より(歳が)下の世代に何を残せるか」
「この自分の経験は世の中でどうやって活かせるのか」
といった、ちょっと一歩引いた気持ちをぼんやり考えるようになりました。
ほんとぼんやりですけど。
自分に巻き起こったトラブルや失敗は、もちろん落ち込むこともあるけれど、こんな経験をしたというストックが貯まった気分にもなります。
もしも同じように、何かを失敗をした人に
「こんなに失敗してんのになんとかやれてる人もいるんか~もう少し頑張るか」
と少し励みになるなら、この経験もしてよかったかも~と思うようになりました。
これは経験値が貯まっていって余裕がうまれたのか、年齢的な変化なのかはいまいち不明です。
ただ、今年読んだ「歴史思考」という本に書いてあった一節もすこし影響がありそうです。
本の中で気になった内容としては、
歴史上の偉人とされる人は、その人自身の力だけで偉業を成し遂げたのではなく、周りの人たちの支えによって実現できたことや、その人たちの言葉に影響されたり、周りの人のおかげで結果的に偉人となった人もも多い。
そういう意味では、その周りの人たちも何かしらでこの世に影響を与えているとも言える。
しかもそれは自分の生きている間には分からないこともある。
というものです。(引用ではなくうろ覚えメモです)
偉業を成し遂げた人はたしかにすごいし、それに比べて自分はちっぽけで…と落ち込む人もいるかもしれないけど、自分の何かしらの行動は誰かに影響を与え、結果的にこの世にも影響を与えた存在ということです。
そう思うと、自分なんて…と無暗に卑下することなく生きれるような気がします。
自分は主役じゃなくていいんで…という消極的なスタイルではなく、自分の失敗も成功も含めて、何かしらこの世に影響を与えているのでは…と思うとどんどん挑戦したいし、どんどん失敗も成功もしたいと思いました。
そんなことを考えていると、自分と他人とを比較することもあまりしなくなりました。そもそも自分と他人の境界線というもの自体、あいまいなものなのかもしれません。(これも歴史思考より)
とはいえ自分も、予定通りにいかなくてやきもきしたり、うまくいかなくてしょんぼりしたり、、、心はまだまだ大忙しな事も多いです。
まだまだ人生分からないことだらけ、未熟な点も多いし、長い人生の中ではしっかり若造です。いろんなことを学び、成長していきたいな~と思います。
それでは!
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