立ち向かったら返り討ちにされる恐怖 立ち向かってもアクセプタンスが必ずしも取れるとは限らない。FBが嬉しいのは全ての人じゃない。 心が疲れて、自分の発する言葉と心が乖離して、目から水が出る。感情も何もない。心って所詮自律神経と汗腺。 っていうはなし。
プラモデル作りが趣味。 一番しっくりくる趣味を見つけた。 一気に築き上げるのではなく 少しずつ、でも定期的に、確実に、時間をかけて。 自分がいいなと思う感性の人との関係性を構築する。それでたまには、外界から自分を切り離して、気分転換に1人きりになって自分の内側を見る。 そんなことに没頭できる場所やそこにいる人たちのそばが自分のパワースポット。
思い通りに行かないと 自分の気持ちがそれ以降冷めました、あなたのせいで っていうルールを自分で勝手に作る だって悔しい。 思い通りにならないことは。 小さい時は言いくるめてきた本能が抑えきれずに駄々こねるみたいに。 小さい時「聞き分けがいい」と言われてきたのは 自分が無力だと悟っていたから 今はある程度生きて、ある程度自分の判断で生きてきたから そうやって自分でルールを作る 気にしなければ存在もしないルール。
言葉は呪い 子供の頃ほど 土壌が柔らかくて 言葉の雨は浸透しやすい それを判断する価値観や 戦わせる言葉も持ってないから 疑うことを知らず その場限りにと発せられた言葉すらも、 思考の深層に定着する だから、そういう相手であるほど 接し方や言葉遣いを大切にしないといけない。 言葉使いじゃなく、言葉遣い。
目の前のこの人を構成するのは 小さい時から培われた経験 たくさん愛されて たくさんの人に支えられて 今目の前に立ってる。 そんな彼女に、私もたくさん支えられた。 経験は気づかぬうちに人の内側に積もり積もって、その人の人格や、未来をつくる。 全部大事でかけがえなくて、全部繋がってる。 ー結婚式の日
インプットした情報は アウトプットすることで初めて引き出しになる。 でもインプットするから当然頭の中には蓄積されてて つまり棚に入ってるんだけど、取っ手がついてない状態。 自分からは思い出せないんだけど、人がその棚を少し開けてくれると、驚くほど細かいところまで鮮明に思い出せる。 自分が学生時代に壊滅的に記憶力が弱くて 深刻に悩んで始めた日記や写真も 本質で言えばこのインプットとアウトプットに準えられてて 自分の行動一つ一つ(点)がある法則で繋がって(線) まさに伏線回
滞在中はなるべく日常生活に溶け込むように でも日常よりも自分との時間を確保するように 静かな場所で問答することが多いけど 今回はちょっと違くて 人と接することで自分の側面が見えたり 歴史や文化を知ることで自分の思考を整理できたり 自分的パワースポットが“場所”ではなくて、“人”や“コト”だった経験。 滞在中、予定がなくなってぼーっとすることこそ 自分との対話が捗った証拠。 その余白に生まれた新たな出会いにも感謝🙏🏻
ひとも ものも 手に入らないから美しく見える 私はその主語でもあり、対象にもなる。
人の手が好きだ 何かを生み出す手 感情を表現する時に動く手 これまで歩んできた人生を語るような手 大事な人に触れる手 いろんな手がある。 そしてそれはその人しか持ってない。 そんな 手 はとても美しい。 手を見ると、この人はあんな性格なのかなってこっそり想像する。 そうやって、大好きな人たちのことを観察して そんでやっぱり、どんどん好きになる。
いつも ただいま を言いにいく、 大好きなお店の動画を作らせてもらいました。 24時間は短い。 でも結局いつも、後半は息も絶え絶え 気持ちが重い時もある。 今日は金曜日。 友達みたいに話せるから、1人で飲みに行くのも平気になった。 私の、「ただいまが言える場所」
3ヶ月にいっぺんほど いろんな物事から距離を取るために訪れる場所。 のめり込むほど注目して、熱中して顔面スレスレまで近づくから、周りが見えなくなって、目まぐるしいスピード感に酔ってしまう。 だから一回全部を手放して、自分1人に向き合う時間を確保する。 自分のためだけに、時間を使う場所。 訪れるたびに「腰は体の要。背筋を伸ばすことで酸素が取り入れられて、肉体も精神も生き生きする。だから背筋を伸ばしなさい」って何度もありがたい言葉をくれた和尚さん。 もう会えないことが今日
目の前の人たちが大好きで、どうやって相手を喜ばせようか、どんな言葉をかけようか考えてニヤニヤするくらい気分のいい日がある。 仕事終わり肉体は疲れてるのに ポジティブな言葉、やりたいこと、意志が頭の中にどんどん溢れて なんでもできる気がする。何にでもなれる気がする。 相手と違う意見を言っちゃっても、迎合して自分の意見を寄せるんじゃ無くて、「そちらはそのアプローチですか。ならば目指すところは同じですね」って自分の意見を自分が守ってあげられる。 こんな夜ほど、寝るのがもっ
当たり前にそばにあったもの、人を失うって どういう気持ちだろう。 失ってしまえば、人は多分なんとでもやっていく。 無い ということに慣れていく生き物。 だからこそ、在る 状態でかつ、失うかもしれない って実感した瞬間が一番痛く、不安で、弱くなる。 それに備えてなにができるか。 もっと大事にする、もっと一緒にいる もしかしたら愛情が深まれば深まるほど比例して不安や恐怖は募っていくのかもしれない。 ーインスタで流れたきたある写真に訳もなく涙が出て。きっと自分の琴線に触れ
「価値観なんて自由なら人を傷つけていいだろ」って歌詞を聞いてふと。 この世界のルールは ・人を傷つけてはいけない ・ただし、傷ついたと判断するのは自分ではない アプローチは、 ・エンパシー(相手の立場になって相手の気持ちや価値観を理解する能力) ・シンパシー(共感、同情の感情) ・尊重を以った行動 戦略として、 エンパシーとシンパシーはスタンスの問題なので、これで地盤を固めつつ、 尊重を以った行動で、相手の自分に対する許容範囲を広げ、相手からのシンパシーや、信頼関係構築
涙もろいのは母に似んだろうな 思ってることは伝えられる時に伝えること ぶつかるのが苦手でも 目に見えない自分の意地ではなく 目に見える相手を大事にしたい。
永遠の別れに涙を流すほど 誰かの大事な人たちが眠る場所 普段側にいなくても 大事な相談、報告のために訪れる そこは、暗くて冷たくて怖い場所ではなくて 人が人を尊く想う気持ちが集まる場所 だからこそ、いい気が流れてて 植物の生が際立って見える お墓ってこの上なく温かい場所。 == 物事の捉え方って面白くて 考えて浮かぶというより その場でふと感じることが多い。