母、家に帰る
先月半ばに高齢の母が一人で新幹線に乗り私の家に来た。
父との不仲が原因で家を出てきたのだ。
若い頃から仲良し夫婦というわけにいかず、何年かごとに『もう離婚する‼️』と家を出ては戻りを繰り返してきた。
さすがにこの歳になればもうそんなことはないだろうと思ってたのだけど、この歳になってもありましたねぇ💦
前回の家出の時は私の家の近くにアパートを借り、家具家電を揃えて住めるようにした。
が、3日ほどそこで生活し父のいる自分の家へ帰っていった(泊まっただけやんね😅)。
今回は決意固く⁉️、あーぁと思ってたけど、自分の人生なんだから好きにしたらいいと思ってた。
ただずっと母が家にいると私の一人の時間が全くない。食事の支度をあとにしてピアノを弾くとかいうことも出来ないし、待たなくていいと言っても食べずに待ってる。
自分の家では忙しく動き回っているので、何もせずにじっとしてるのが苦痛だと言う。
家事をあれこれ任せたくないので(慣れない家で動いて転ばれると私も困る)、結局あれしないで、これしないで、触らないで、となってしまっていた。
当初は父にも頑なな雰囲気があったが、時間が経つにつれて軟化してきた。
長年連れ添ったパートナーがそこにいないとやっぱり寂しいんじゃないかしらねぇ。
父は数年前からガンの治療を続けているのだけれど、最近は体調が思わしくない。急変したら、そしてそのまま逝ってしまったら、きっと母は後悔する。
母が前回アパートを借りたのに『やっぱり帰る』と帰ったのは、父の体調も一因。病気のお父さんを放っておけないと言い、帰ったのだ。
今回は揺るぎない決意を伝えてきてたけど、予想通りやっぱり帰ることになった😌
結局は最期まで一緒にいることになるんだろうな。
母がいつも家にいると正直それはしんどかったけれど、最初から期間限定であればもう少し優しくすれば良かった。
いや、表面上は優しくしてたんですよ。一応誤解ないように言っておくと。
でも心のどこかで一人の時間が欲しいと思っていた私は、そういう雰囲気を醸してたと思う。少し母を邪魔に思うような…
孝行したい時に親は無し、なのにね。
母が帰る日は私が仕事を休みの日にしてもらった。来る時は最寄りのバス停まで母一人だったけど、帰りは私が東京駅まで送っていった。
荷物を持ち運んだり、切符を買ったり、電車を乗り換えたり。
以前は支障なくできていたことが高齢の母には大変だ。
本当だったら実家まで送っていくのが安心なのだけど、東京駅で新幹線の座席に座るところまで。
熟年離婚でも老年離婚でも私は構わないんだけど、自分の人生なんだから自分の思うように生きてほしい。
そして母が選んだ『家に帰る』という選択は母のしたいように生きるという選択によるものだ。
お母さん、ちゃんと自分の家に帰れて良かったね。
※母に出ていけー!と怒鳴ってた父は、母をバス停まで迎えに行き、料理をほとんどしたことがないのに夕飯を作ってくれたそうだ。
『どっちかが死ぬまでもう喧嘩せんといてよ』
娘の私の心からの叫びです😁