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なぜか頭から離れない。
幹部候補生学校での訓練の一つに高良山を走るというものがある。男子30分、女子35分という制限タイム内に走らないといけない。
息子は今回男子の部で2位。タイムは26分40秒ぐらいだったと記憶している。
息子の卒業式へ行ったとき、『円谷幸吉』の名前を目にした。
高良山走の歴代の記録保持者が掲示されていたのだが、そこにその名前を見つけた。
恥ずかしながら円谷幸吉のことはマラソン選手としてしか認識がなく、それ以上のことは全く知らなかった。
円谷幸吉はここ(幹部候補生学校)にいたんだ。
高良山を走ったんだ。
改めて円谷幸吉のことをWikipediaで調べてみた。その生涯が比較的丁寧に書かれていた(情報の質については本来精査が必要なのだろうけど、概ね間違いはないだろう)。
え‼️円谷幸吉は27歳で亡くなったの⁉️
なんで⁉️
自殺⁉️
1964年の東京オリンピックで銅メダルを獲得してからわずか3年後。
非常に真面目な性格で、走ることがとにかく好きだったんだろうと思う。ただ時代が時代なだけに今のような専門的なコーチもおらずトレーニングも受けず、根性でひたすら頑張ってきたのだろう。
無理を重ねたトレーニングや過密なレーススケジュール、痛めている腰(椎間板ヘルニア)に加えて、両側のアキレス腱断裂。これでは歩くこともままならないだろう。東京オリンピックで銅メダルを獲った時『次のメキシコでは銀メダン以上が狙えると思います』と国民に宣誓?したことが後の円谷を苦しめることになったと記載されている。
それを果たそうと(円谷が勝手にした宣誓であり約束なのかもしれないが)自分を追い込み続けて走れなくなった、生きていけなくなった円谷幸吉の姿が目に浮かぶ。
遺書の言葉、どこかで見た覚えがある。
『幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません』
彼がどんなに疲れてしまったのか。
そこまで彼を追い込んでしまったのは何なのか。
当時の日本では円谷にメキシコオリンピックでメダルを期待する声は大きかっただろう。何せ東京オリンピックという戦後の日本の復興を象徴する大会で、陸上で唯一のメダリストだったのだから。その円谷がその後の大会で成績を残せず、怪我もあり次のオリンピック出場が難しくなった時、国民は円谷にどう向き合ったのだろうか?それともそっぽを向いたのだろうか?円谷が一人で勝手に潰れたのだろうか?
走ることが大好きで、才能もあり、真面目な円谷幸吉。
私が生まれる前に亡くなった人物なのでもちろん彼のことは伝聞でしか知らないが、なぜか非常に惹きつけられる。
円谷幸吉が幹部候補生学校にいたからか?
そこで見た記録が圧倒的だったからか?
彼が早逝したからか?
それが自死だったからか?
惹きつけられるとともに、非常に悲しく苦しい気持ちになる。
そんなに頑張らなくて良かったんですよ、と言いたい。
息子に円谷幸吉のことをメールした。高良山走での記録、すごいね、と。
息子は円谷幸吉のことを『円谷さん』と言った。
同じ学校で学んだ者、先輩候補生に対する敬意の表れか。
少なくとも息子は私より近いところにいるからこその『円谷さん』なんだな。
円谷幸吉の高良山走の記録は18分9秒。
彼の記録を破るものはこの先も現れないだろう。