モンペに泣かされる
世の中にはいろんな人がいるが、患者も例外ではない。
不慮の事故に遭ったり、不注意や加齢による理由から怪我をしたりといった人も多く、そういう方には『不運でしたね』という言葉が適当であろう。しかし脳卒中などは不摂生な生活を送っていたり、指摘された疾患(主に糖尿病や高血圧)を放置した結果引き起こされることが多い。いわゆる生活習慣病であり、自分の身体に注意を払わなかった結果とも言える。
疾患による気質というのは古くから分類があるが(クレッチマーやシェルドンが有名)、臨床の場では気質と疾病のつながりのほか、学歴や職歴とが気質と関係していると感じることも多い。
今日はこの病院で働き始めて初めて泣いた。子供のようにおんおん声をあげて泣いたわけではない。堪えよう堪えようとしても勝手に涙が滲んできたのだ。
原因は某患者だ。
彼は脳卒中で入院してきた。左片麻痺のようだ。手も足も自分で動かせるし、起き上がりも立ち上がりもできる。軽症だ。
その患者は左手が痛い、と訴えていた。
私はそこそこの治療経験があるし、治療の際決して乱暴に患者の体を扱うことはない。むしろ治療の際、患者は気持ちよくなり眠ってしまうことも多い。
そして何より私はその患者の痛みや不具合を何とかして良くしたいという思いが強いし、治療に入った患者からは「あなたにやってもらいたい」と有難い言葉を頂戴することもしばしばだ。
でもこれらは全て私の奢りや言い訳になるのかもしれない。
「手が痛い」という患者だったので、当然この手の痛みを少しでも緩和したいと思った。見ると屈筋の緊張が亢進しており感覚に対して非常に過敏になっている。ずいぶん長く使っていない手だ。
体そのものも動かしてなかったんだろう。腰や背中の筋肉も硬くなり硬結を作っている。このあたりもアプローチしないといけない。
私の頭の中では今日のこの時間でこの患者の痛みを緩和し、少しでも動かせる身体にしていくための戦略がいくつも立てられた。
そんなふうに患者の治療に対する戦略を立てていると
「手が痛くて握力もないんだから食器なんて持てるわけないだろ?何聞いてんだよ」
「あんたさ、俺の足のことなんで聞くんだよ?どこがどれぐらい悪いかなんてカルテに書いてあんだろ?何で毎回毎回同じこと言わなきゃなんねぇんだよ」
「手は痛いんだよ。触んなよ」
「平らなとこに寝かせるなって言っただろ?痛いって言ったのに何でこんなところに寝かせるんだよ」
ベッドに寝かせての治療は断念し、立って歩いてもらうことにした。
「血圧は?いつも測ってんだよ。何で測んねぇんだよ」
(私)「必要なら測りますよ。今調子悪くないですよね?」
「測りもしないってどういうことだよ!」
下肢の筋力強化練習と筋力の測定を兼ねて膝を伸ばしてもらう際、手で抵抗を与えた。どちらも筋力が低下していて膝が真っ直ぐに伸びなかった。
これも彼を立腹させた。
「そんなところに手を置くから足が伸びないんだろうが!」
(私)「少し力を加えますね、と言いましが・・・」
「なんだその態度は。いちいち気に入らねぇ。上司呼んでこいよ。」
(私)「今他の業務に出ているので、在室していません」(本当はすぐそこにいたが今日は病院に監査が入っていて、そちらに注力している)
「じゃ、婦長呼んでこい。呼んでこいよ!」
立ち上がって歩行練習は何とか出来た。左手が痛いと言っていたが、ちゃんと平行棒は握って力をかけることができている。感覚障害は存在することは確かだが、長期にわたる不使用が感覚を過敏にしていることが窺えた。
病院で貸し出しているズボンのウエスト部が緩く、すぐ下がり気味になってしまうため後ろから持ち上げた。
「こんなボロボロのズボン履かせてこれで金取ってんじゃねぇよ」
(私)「緩いズボンで申し訳ありません」
彼の口から出てくる言葉にひたすら謝り、尚且つ少しでも必要な評価と治療を実施しようと頑張った。彼の痛みや諸々の苦痛に寄り添わなければと思い労りの言葉をかけたが、返ってくる言葉は私にはひどいものだった。
(私)「今日は色々と不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「ほんとに不快だよ。おまえのこと言いつけるから婦長呼んでこいよ」
最後まで彼の態度は変わらなかった。
暴力行為こそなかったが、内心私はとても怖かった。
必要な評価も治療もほとんどできず、こんなに長くセラピストをやっているのにうまく患者対応できなかった。
バカなふりをして最初からすみません、すみませんって言っておけば違った結果になったんだろうか。
時間が経ったのに、思い出すだけでまだ泣けてくる。
日々患者さんから感謝され、セラピストっていい仕事だと思っていたけれど、今日は一気にもうこの仕事を辞めたくなった。
今日はピアノを弾く気力もない。
きっと眠れないだろうから、薬を飲んで寝よう。