「治る吃音」と「治らない吃音」私と同じ症状の人は、治る吃音ではないかと、思います。
SNSを見ていると吃音で苦しんでいる人は、意外と多いと感じます。
多くの吃音者は、出口の見えない吃音の闇の中でもがき苦しんでいるようです。
私は、若い時に吃音でかなり苦しみましたが、今は何とかその悩みから抜けることが出来て、心おだやかに生活出来ています。
私は、心理療法を専門に勉強した訳ではありませんが、私と同じ吃音の症状であれば、十分治る可能性があるでのはないかと思い、この記事を書くことにしました。
言友会や日本吃音協会のことは、詳しく知らないのですが、サイトを少し読んでみると、どちらも吃音を否定するわけではなく、吃音を前向きにとらえてたくましく生きていくことを基本にしているように感じました。
であれば、もう一歩踏み込んで「本当は治したい」という気持ちをあるがままに受入れて森田療法を学んだ方がいいのではと、心から思っています。
私の吃音の症状
とにかく意識が吃音に集中していました。
悩みの最中もなぜか睡眠はよくとれていたのですが、起きている間はほとんど吃音のことを考えていました。
それで頻繁に吃るかというとそうでもなくて、自分から自分のことを吃音だと言わない限り周りに気付かれることは、ほとんどありません。
吃って人から笑われることはありますが、適当に笑ってごまかすと、その場は終わります。
その後、私が普通にしていると、周りの人は、私がそれほど悩んでいるとは分からないと思います。本当は、死にたいほどの苦しみであっても。
私の吃音はその程度です。まだマシなのかもしれません。
最初意識したのは「か行」でした。吃音あるあるかですね。
「か行」で始まる言葉が出てこないので、他の言葉を見つけます。
普段の会話ならこれでもいけます。
すると今度は「な行」も出づらくなってきます。自分でいろいろ試してみると「ま行」「ぱ行」は言いやすいと気付きます。
「あ行」も言いやすかったです。
ところが、そうやって自分で試してばかりいると言いやすい言葉まで出ない時がありました。
「あ行」が出ない。
その時は、大ショックでした。
自分の口の機能的な問題かと思っていましたが、出ない言葉がどんどん増えてくるので素人ながらも「これは、精神的な問題ではないだろうか」と思うようになりました。
一方ではどうしても治したいという気持ちはかなり強かったです。
「この吃音さえなければ、人生は素晴らしいもになるはず」とよく思っていました。
「この吃音を会社の人に知られてしまうと、僕の人生は終わってしまう。」など。
実際、周りの人に吃音を話たところで、他人の吃音は大した問題ではないので人生は終わりません。断言します。
それでも悩みの最中は、自分の症状に全ての意識が集中してしまい、まともな考えが出来なくなってしまいます。
「いっそ自分の言葉が出なくなって、手話で会話出来たら楽になるのに」と真剣に思っていました。完全に間違えていました。
悩みぬいて、迷いに迷って何とか吃音の原因を知りたいと思い書店に行きました。
当時は、ネットもなかったですから。
いろいろ本を読んだ中で読んだ瞬間にピンと来たのが、森田療法の本でした。
そこから、そもそも自分の考え方が間違っていたことに気付くことになり出口が見えるようになりました。