自分自身とノンセクシャル
私がノンセクシャルだと自覚したのは、高校のときだった。当時はノンセクシャルという言葉が一般的ではなく、「Aセクシャル」という言葉だった。
「Aセクシャル」という、性的欲求を他人に求めない人たちがいると知って、私は小躍りして喜んだ。中には、「恋愛感情がある」タイプの「Aセクシャル」もいて、自分はこれに当てはまることがわかった。
思えば中学生のとき、流行っていた過激な少女小説ー10代の女の子が初めての彼氏と子どもを妊娠。高校をやめて母親になり幸せになるという話ー を回し読みさせられても、嫌悪感しかなかった。
自分が好きな人と性的行為を行うことが全く想像できずにいたし、自分からは遠い出来事としか思えなかった。
もっと遡れば、子どもの頃から男女の役割にも疑問を持っていたし、女扱いされることに強い拒否反応を覚えていた。
「Aセクシャル」という言葉を知ったのだって、大学の志望学科を考えるために読んでいた「ジェンダー」関連の本だった。
「Aセクシャル」を知ったとき、「そうだったんだ!」という納得の気持ちが一番大きく感じた。同時に、自分と同じ人が他にもいるかもしれないという期待も大きかった。
でも、実現させたのはずっとあとになってからだった。