1番目の席
2ヶ月ぶりに、つーさんのところへ行ってきた。
※つーさんについては、このあたりの記事にあります↓
本当は9月の終わりに会いに行くつもりだった。
でも周辺が事件続きで、しかも舌痛症にまでなっちゃって、無理だった(物理的にというより、気持ち的に)。
もちろんその間も手紙やはがきで自分の状況は伝えていたけど、つーさんはなんだか精神的にも金銭的にもかなり困っているようだったので、心配していたのである。
そしてようやく、すっかり秋を迎えた東京拘置所へ。
つーさんはなんだか、生じろい顔をして面会室に現れた。
見るからにしょぼくれている。目に生気がない。年齢よりも見た目が若いタイプの人なんだけど、なんだか5歳くらい一気に老けちゃったみたいだ。
「見た目からは分からんかもしれないけど、中身がもうボロボロやねん」
と眉尻を下げて言う。そうだよね。見た目からもそれは伝わる。
刑事施設への拘禁生活も10年以上となるつーさんは、今年の春から精神的に持ち崩してしまい、それまでは「絶対に頼りたくない」と言っていた睡眠薬や向精神薬も飲み始め、量もだいぶ増えてしまった。
だから日中もぼんやりしているし、それまでは頑張っていた請願作業(袋貼りとか、中で受注して行えるお仕事)もできなくなってしまった。
なんとか意識がはっきりして動けるようになるのは夕方の3時間くらいだと言う。
こんなとき、元気だしてとか、大丈夫だよ、なんてとても言えない。
できるのは、話を聞くことだけだ。
無力だなと思う。でもきっと、誰かに「つらい」「もうボロボロだ」と言葉に出して伝えるだけでも、なにかほんの少し軽くなるところがあるのではないかと、せめてそう思いながら、アクリル板越しにちゃんと目を見ながら話を聞く。
「お金が無くて手紙も出せなかった」
と言うので、そんなに困っているの?と尋ねると、気づけば5円しか残金がなかったのだそうだ。
5円。
それでは便箋も買えない。
請願作業ができないと自分でお金を手に入れることができないのだ(と言っても、最賃にも満たない微々たるものなのだが……)。
つーさんには身寄りがなく、助けてくれる家族は1人もいない。事件を起こしたことで、あらゆる血縁者を失ってしまった。
いま交流が許可されているのはわたしと、お坊さんのタマモトさんと、弁護士であるムロヤマさんだけだ。
交流が許されていない人でも、現金・切手などの差し入れだけはすることができるのだが、以前は交流できていて熱心に差し入れをしてくれていた方々も、刑が確定して交流が制限されてしまってからは一気に波が引くようにいなくなった。
人の気持ちはなかなか厳しい。
つーさんのような状況にある人(事件を起こしてしまった人)と積極的に関わりを持とうとする人というのは、ほとんどがなにかしらの「見返り」を求める人が多いということは、以前からなんとなく感じていた。
「取材対象として」「珍しい状況にある人から手紙をもらえる」「弱い立場の人を助けて、感謝してもらえる」、さまざまだけど、なんていうか、なにかしら獲得したいものがあって接近してくるのだと、以前につーさんがボヤいていた。
いま、つーさんになんの見返りも期待できない状況で差し入れだけを続けてくれる方なんて、ほとんどいない。
(ごくわずか、わたしの友人で、つーさんに一度も会ったこともないけれど差し入れを送ってくれる人たちがいて、本当にその優しさに胸打たれます)
でもそれは当然なのかもしれない。
物理的に距離ができたら、気持ちも離れてしまうのが人というものなのかもしれないですよね。
なんだかさみしいなとは思う。
しかたはないけど、さみしい。
人の気持ちが離れていくのを肌見に感じながら狭い独房でひとりきりで過ごしているつーさんを思うと、どれほどのさびしさかと思う。
ちなみにわたしは、「困ったな」とか「どうしよう」と思いながら、それでも友だちだから交流を続けている。
つーさんはもはや友だちだから、友だちとしてできることをしているだけだ。
だって、本当に大変なこともいろいろあったし、もうなんなの!と思うことも何度もあった。でも友だちだから、友だちやめる理由なんてないんですよね。
・・・
帰り、いつものカフェに寄る。
きょうは1番目の席。
カプチーノを頼んだらとてもおいしそうに淹れてくださった。
なにかあっても、なくても、胸の中にその人がいる。
心の中の小部屋にその人がちょこんと留まっている。
それが友だちというものなのかもしれないなって思いながら、今日も席に座っていた。