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電報、そして、なぜ生き続けるかを考える

今週はずっと掃除をしたい掃除をしたいと思い続けていて、ようやく訪れた今日というお休み。

朝から掃除機をかけ、ていねいに床ぶきをし、溜まっていたダンボールを解体し、畳み、冷蔵庫の中の整理もした。
そんなの仕事しながらでも少しずつやればよいのだけども、わたしはどうも掃除や片付けだけは休みの日でないと取り組めないのだ。

床をきちっと拭く。
ここのところずっと気持ちが低調だったけど、床をゴシゴシ拭いていたら心のほこりもきれいになった気がする。

午後は歯医者へ歯のクリーニングに行く予定。
これはとても憂鬱。
わたしは歯医者はいついかなる時も行きたくない。いついかなる時も憂鬱のタネ。

帰りに歯医者の近くの大きめのショッピングセンターに寄って、冷やし中華用の麺を買おう。
それからタリーズコーヒーにも寄ってなにか美味しいものを飲もう。
楽しみな予定を入れておけば、憂鬱なこともなんとかなるだろう。

・・・

先週、コロナになって面会に行けなくなったことをつーさんに電報で知らせていたところ、返信の手紙が届いた。

「大丈夫なの?面会のことを心配してくれて電報くれるのは嬉しいけど、くれぐれも自分のことを最優先に心配してよね」

そのとおりである。

なにも電報で知らせることではなかったのだが、これには理由があって、まず、つーさんは刑事収容施設にいるため電話やメールは連絡手段として使えない。
そして、手紙は届くけど検閲が入るため、ポストに投函してから本人の手元に届くまで5~6日かかる。
(実際このつーさんからの手紙も7月27日に書かれていて、わたしに届いたのは8月3日である)

なので、急いで伝えたいことがある場合は、電報をうつのがもっとも早い。
それにしたって本人に届くまでには1日半くらいかかるのだけど、それでも最速だと感じる。
それくらい、刑事収容施設は厳しく外部との連絡が制限されているのだ。手紙にしたって、ちょっと油断すると黒塗りされてしまうこともあるしね。

つーさんと知り合うまでは、電報なんて自分でうつことはなかった。
いまどき、弔電とか祝電くらいしか電報にかかわる機会なんてないだろう。
以前は文字数によって細かく料金が増減したので短い文章で内容を伝えることにあれこれ苦心したが、去年くらいから300文字(30文字×10行)までは定額になった。とか、そんなことも普通は知ることもない情報だが、わたしにとってはホットなニュースである。

で、

そんなわけで「この日に行く」という予告が、「行けなくなってしまった」になった場合、急いで知らせるにはもう電報を使うしかないのである。

あと、もうひとつ、今回つーさんに電報で連絡をした理由は、わたし自身が手紙を書ける状態ではなかったから。
便箋(もしくは葉書)を選ぶ。ペンを持つ。文章を考えながら書く。宛名を記す。切手を貼る。ポストに投函する。それらの行程を経ないと手紙は送れない。
コロナでヒイヒイ言っている状態でそれを行うのはむりだった。
電報は、スマホをポチポチするだけで3分もかからず送れてしまうのである。とても便利です。
(ただし電報は1000円以上かかりますが…)

コロナで高熱を出していたわたしには手紙を書き送る元気などなく、それでもつーさんのことが心配だったので、ベッドにもぐりながらスマホで電報をうったのである。

「来る」と言っていた人が連絡なく「来ない」、というのは、収容施設にいるつーさんの状況を考えればよくあることなのかもしれないけど、それでもやっぱり本人は悲しむだろう。
状況的にしかたないよ、と言えば済むのかもしれないけど、わたしは友達に対してそれで済ませることはしたくないし、約束を守れないときは最善を尽くして知らせたいと思う。

つーさんの手紙には、ひとしきりわたしの体調を心配し、この暑さの中で高熱を出すことのつらさや、周囲にも気を遣うだろうことを想像して心配する言葉が綴られていた。
自分は何の役にも立てなくて申し訳ない、とも。

こういう思いを言葉にして伝えることができるところ、つーさんは本当に友情にあつい。

手紙の後半、つーさんは春から起きた一連のできごとにより心が回復せずボロボロであること、服用している心の薬の影響で受け持っていた作業もできなくなってしまったことを呟くように綴っていた。

「いま、生き続ける意味がわからないけど、あと2つほどやっておかなければいけないことがあるので、それはちゃんとしたいと思う。
ちなみに、ののっつさんはなぜ生き続けようと思えるのか教えてほしい」

むむ、これは難しい宿題だ。

わたしは「よし、生き続けよう」と決意したことなんてあったかな。
なんで生き続けてるの?と問われたら、さて、なぜなんでしょう。

それを文字にして書き送ってくれたつーさんの気持ちを思えば、「なぜ生き続けているのか」ちゃんと考えて返事を書かなくてはと思う。

今日の歯のクリーニングはこれで乗り切るか。「わたしはなぜ生き続けているんだろう」を考える。たぶんすぐに答えなんて出ないし、なにかを考えていれば時間もはやく過ぎるというもの。

さて、
わたしはなんで生き続けているのかな。