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めげてもあんまりいいことはないから

風が強い日だった。
びゅうびゅうと風が舞って、人も木の葉もあちらこちらに流される。

それでもまだ金木犀は大気に香っていて、まだ咲いているな、と思いながら歩く。

【舌痛症・その後】

前回までのあらすじ

九月にいろいろストレスフルな事件が重なった結果、脳がバグり、ベロはなんにも悪くないのに「ベロが痛いよ」という誤った司令が出されてめちゃくちゃ舌が痛くなったのであった。(ざっくり、これが舌痛症です)

さて、ヒリヒリと舌や上顎が焼かれるような痛みを遮断するため、心療内科にて神経に作用するお薬を処方してもらったのでした。
舌痛症には普通の痛み止めがまったく効かない。神経の勘違いの前には、ロキソニンも、ボルタレンも無力である。
なので、処方されたのは「ベロが痛いんだってば!」と言って聞かない錯乱した脳を、「ちょっと一旦あんた黙ってくれる?」とタイマンはって静かにさせるためのお薬である。 
それをいただいたのが今週の月曜のこと。

薬の名前は書きませぬが、パニック発作とか、不安症などにも処方するお薬のようです。脳を沈静化させたいわけだから、まぁそういうジャンルになるよね。

就寝前に1錠飲んで、そのまま眠る。それを続けました。

火曜:朝起きて、舌の痛みなし。びっくりする。あんなに痛かったのにどうした!?
久しぶりに辛い痛みから解放され、涙が出るほど嬉しい。心穏やかに過ごせる。仕事へ行って、普通にはたらく。
「舌痛症になった」と職場のボスに報告すると、「休んでもいいし、無理があったらなんでも言ってほしい」と心配される。

水曜:朝から痛みなし。仕事へ行く。すると、夕方に少し舌がヒリヒリとしてきたのを感じる。嫌な気配。でも痛さレベルは2~3くらい(最大を10として)。許容の範囲内。あまり気にしないようにする。夜も眠れた。

木曜:朝起きて、すこしヒリヒリするな、でもしのげるな~、くらいの感じ。仕事へ行く。午後に1時間ほど喋らなくてはいけない仕事(セミナー講師)をやったあと、結構な痛みに襲われる。舌自体に病変はないとはいえ、使いすぎるのもよくないようだ。かなり痛くてシュンとする。
同僚に「舌痛症というのになった」と話したら、「痛みが出たら言ってください。気を紛らわすために話しかけるし、なんなら変な踊りとかもします」と言ってくださる。笑ってしまう。
仕事を終えて家に帰り着いた瞬間、痛みがスーッと引いた。なぜ!?よく分からない。でも、その後は痛みが出ず、心穏やかに過ごせた。家に帰るとホッとするのか?もしかすると、痛みの発現には気持ちによる影響が大きいのかもしれない。

金曜:仕事は休み。朝から痛みなし。上品先生のところへ行く。「ま、そうですね、やはり舌痛症でしょうね」と冷静に微笑まれる。
「いまの薬が効いてるようなのでしばらく続けてみましょう」ということと、「もしまた痛みが出てきても他にも痛みに対処できる薬はあるから心配せずに」、そして、万が一突然の大きな痛みが来たり、不安に襲われて痛みが大きくなったりしてしまった時のために、お守りとして頓服の薬も処方してくださった。
上品先生は冷静で、情に偏りすぎない語り口だが、でもこちらの気持ちをくんでくれる的確な処方が相変わらずありがたい。

午後、ごくたまに「ヒリッ」という感覚が来るも、長続きはせず、友人に会いに行って気持ちも穏やかに過ごした。
「ヒリッ」が来たとき、キシリトールガムを噛むとスーッと痛みが引くことを発見。しのぎ方を見つけたようで嬉しい気持ちになる。

……というような感じの一週間でした。

いまのところ、処方していただいたお薬がいい感じに効いているようで先週までのあの地獄のような痛みはすっかり影を潜めている。
助かった。薬ってすごいなと思う。
口の中、バーナーで焼かれてるんのかってくらい痛かったのに、それがいまは静か。

あと、なによりも、痛みが出ているときの精神的な絶望感(一般的な痛み止めが効かない、痛みから逃れられない、治るのかも分からない……)が緩和されて、気持ちが安定したことがとても有難い。
いつもの自分を取り戻せた感じがある。

普通に生活を送れるってなんてありがたいの~~~!と叫びたい。
(叫ぶと舌が痛くなりそうだから叫ばないけど)

人に舌痛症のことを話すと、意外と「私の友達にもいる」とか、経験を語ってくださる方がいる。結構いらっしゃるんだなぁと驚く。
皆さん、時々舌は痛むけど、くじけず、めげず、いきたいですよねと、そんなふうに思う。

・・・

友人、ゆりさんの陶芸の作品展に行ってきた。
毎年秋になると馳せ参じている。もう何年くらいになるかな。

我が家のお茶碗やお皿、どんぶりなどはほとんどゆりさんの作品なのだが、今年もいくつかの作品を購入させてもらった。

小さな花瓶。佇まいがシックでとても素敵
つるりとした白いお皿

わたしは陶芸をしたことがないけど、人の手が作り出す器というのはなんていうか、ちゃんとしずかな体温がある。
その人らしさがちゃんとまとわれている。
わたしはゆりさんの器の佇まいがとても好きだ。

作陶展を見てからゆりさんとお茶をして最近の色々を話して、やはりお互いの健康についての話になったり(この年代になると、みんな色々あるなと励まされる)、ゆりさん家の猫ちゃんの話をしたり。
かれこれ20年近くのお付き合いだが、見た目も含めてぜんぜん変わらない、いつまでも知的でお茶目で笑顔の可愛いお姉さんだ。

帰りは人形町で人形焼を買って帰った。これも毎年恒例。

人形焼と、あとは今の季節しか買えない、すやの栗きんとん。
「一緒に食べよう」と声をかけたら、娘がお抹茶をたててくれた。
自宅で抹茶がいただけるなんて贅沢なことである。娘が茶道部に入ってくれてよかった。(あなたはきっと茶道に向いている!とわたしがそそのかしたのだが)

夜は、こたつで本を読んですごす。

ネガティブケイパビリティとは、
「どうにも答えの出ない、対処しようのない事態に耐える能力」
もしくは、
「急いで理由や結果を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑のなかにいることができる能力」
という意味なのだそうだ。

わたしの舌の痛みもまさしくそうだな。なんで痛いのか意味わかんないけど「なんか、仕方がないな」とそこに身を置く強さ(強さというのか?)がほしいなと思う。

3年前には突然右目の視野が大きく欠ける珍しい病気になって(原因不明、そして治療法なしとお医者に言われる)、そして今回は舌痛症というよく分からんけどめちゃめちゃ痛い病気にもなった。

生きてると思いもよらぬことがいろいろある。
理不尽な思いをすることもあるし、治せる病気ばかりになるわけでもない。
けど、そんなふうに予告もなしに「なんじゃそりゃ」という事態になっても、なるべくめげないってことが大切だと感じる。

なんか変だわね、のなかにいることができるようになりたいですよね。

めげそうになったら周りの人や、病院や、音楽や、テレビや、ときには神さまや、死んだお父さんや、自然や、いろんなものに甘えて泣きつく。

だって、めげても、いいことってあんまりないんだ。

めためたにめげたけど、少しずつめげないようになるべくいつもの自分を取り戻して生活しているうちに、右目の視野もほぼ元に戻った。完全に戻ったわけじゃないけど、完全に戻らなくたって日常に不便はない。

「起きたことをどう捉えて生きるかは、いつでも自分次第なんだな」

そんなふうに思う。

だから、なにか病を得たときもネットで検索はあんまりしないで(いいことないですよ!)なるべく自分に都合のいい捉えかたをして、なんか変だけどまぁなんとかなる、とめげずにすごしていきたいものですね。すぐには思えなくても、すこしずつ思えるようになりたいと、わたしも思うのです。