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2番目の席

つーさんに会いに行った。

彼はいろいろ事情があり、かれこれ10年以上も自由に出歩けない状況にある。
そしてこの先もずっと、外に出ることはできない。

わたしとは同い年で、東京生まれと大阪生まれという違いはあるが、気の合う友だちだ。
とはいえ決まりとして一回に15分~20分ほどしか話すことができないので、一緒にどこかに行ったりごはんを食べたりしたことはない。

あと、なんというか育ってきた環境とかルートがかなり違いすぎるので、もしいわゆる「シャバ」で出会ったとしてもたぶん親しくはなれなかっただろう。
昔の写真を見せてもらったことがあるが、とても話しかけられる感じではなかった(パッと見て、チンピラという言葉が思い浮かんだ)。

だけどまあ、どういう因果か8年くらい前にご縁があって知り合うことになり、初めて会ったときに「この人、小学校時代のクラスメイトみたいだな」と思った。
大人になって出会った人というより、子供のころの友達みたいな感じがしたのだ。
ちなみに異性という感じもまったくしなかった。(いまもしない)

そんなこんなで友だちになり、いまも手紙や、会いに行って時間の決められた会話をするという形で付き合いが続いている。
関西生まれのつーさんはどんな状況でも私にはおよそ出てこないようなセンスとしゃべり方で話を展開するので、大笑いするだけで時間が終わるときもある。
過去のバイト経験を話してた時には、こちらは本屋とかプリン屋とかのことを話しているのに、「ワシがテキ屋でバイトしたときは…」「貿易(よからぬ)の手伝いをしてたときに…」などと思いもよらぬバイト経験を披露してくれることもある。(そして大体、おもしろい)

家族との縁が切れてしまった人なので、私が身元を引き受ける形になっている。
というとかなり親しい友だちと言ってもいいかもしれないけど、でもまあ、ちょっと特殊な環境にいるというだけで、普通に友だちだ。

幼い頃からのとてもさびしいものを心のうちに持っているように見え、同じ年に生まれた人がそのような心を持って生きてきたということはわたしには「関係ない」とはとても思えないのだった。

これまでいろいろなことがあったけど、これからも普通に友だちでいると思う。

普通の友だちって何だろ。
それぞれの人生を別の場所で生きつつも、用事がなくても会って近況を話したり、元気のない時には心配したり励ましたりといったことができるようなことだろうか?

そういう意味では、客観的には私よりつーさんのほうがよっぽど心配されるべき絶望的な状況なのだが(なにしろ外に出られないし)、どちらかというとわたしのほうが体調は大丈夫なのかとか国試の勉強はどうなのかとか心配されているかもしれない。

国試の勉強がぜんぜん進んでいないときには「あきらめることも選択肢にしておいていいと思うで」と、がんばらないルートを提示してくれてとてもありがたかった。

さてそのつーさんだが、いま現在、過去最大の精神的不調。
会うなり「もうしんどい」を繰り返す。
しんどいとちゃんと口に出して言ってくれてよかったなと思いつつ、私には話を聴くしかできない。
でも自分だったら、こういう時はただ話を聴いてくれるほうがありがたいので、ただただ話しを聴いた。

苦しむ友を見るのはこちらもつらく、帰りのエレベーターですこしだけ涙が出た。
長い長い廊下を歩きながらため息をつき、ロッカーから手荷物を出して、売店で友が好きなお菓子や食べものなどを差し入れて、駅へと帰る。

外はむせかえるような新緑。
そのまま帰る気持ちになれなくて、いつものコーヒー屋さんの2番目の席でカプチーノをのんだ。