7番目の席
ふた月ぶりに、つーさんに会いに行ってきた。
こんなやりとりをして、そのあともぽつぽつと短い手紙を往復させていたけれど、会って話すのは久しぶり。
7月はコロナになって行かれず、8月も、暑さでヨレヨレになっていたのであそこ(拘置所)まで出向く勇気と体力がなかったのだ。
つーさんのことを書くのは久しぶりなのであらためて記しておくと、つーさんはわたしと同い年の大阪の兄ちゃんだ。いや、出会った時は兄ちゃんだったけど、今は年齢的におっさんと言うのが正しいのかもしれない。でもつーさんはいっこうに老けないし、いつまでも雰囲気が兄ちゃんぽい。
つーさんは今から10年以上前にある事件を起こし、いまも拘置所にいる。
裁判はすでに終わっている。
裁判が終わっても拘置所にいるということは、つまりまだ刑が執行されていないということであり、それはつまり、いつ行われるか分からない執行をただただ待つことしかできない身であるということである。
いつ来るか分からない執行の日に、つーさんの人生は終わってしまう。
7~8年前、わたしは本当にひょんなことからつーさん(すでに拘置されていた)の知り合いと出会い、その方から「つーさんという人に会ってみないか」と言われた。
いろいろ、かなり迷って一度は断った。
それは「事件を起こしたような人に会いたくない」という理由ではなく、相手の状況を思うと、会いに行ってみようなんて気軽な気持ちで行くのは相手に申し訳ないと思ったからだった。
それでも、何ヶ月かして、やはりつーさんと会うことになった。これもなにかのご縁なのかもしれない。しっかり覚悟を持って会いに行くことにした。事件のことや裁判の記録もしっかり読んで行った。
面会室に現れたその人(つーさん)をひと目見て、あれ、この人小学校の時のクラスメイトにいなかった?と思った。
それくらい、笑顔に幼なじみのおもかげがあったのだ。
わたしは東京出身だし、つーさんはコテコテの大阪出身だから、小学校の時に会っているはずはない。
だけど、小さい頃に会っている感じがする。
小学校の頃のつーさんを知っているような不思議な感覚がした。知らない人ではないという気配というか、なんか、そういうの分かるでしょうか。
それ以来、わたしとつーさんは友だちである。
事件を起こしたことで家族の縁がすっかりなくなってしまったつーさんの身元引受人にもなっている。なってしまうことになった。
謎の関係性なのでたまに「なんだこれ」と思うことがあるのだが、ざっくり言うと、まぁ、友だちである。
つーさんとの出会いから、ムロヤマさんや、お坊さんのタマモトさんともご縁ができて親しくなった。
タマモトさんは大阪出身の、一見いかつい見た目のお坊さんである。
上野のガード下でムロヤマさんとタマモトさんと三人でお酒を飲み(わたしは飲まないが)、酔ってへべれけになるタマモトさんを見て、へぇお坊さんもこんなふうに泥酔するんだな…え、お坊さんって泥酔してもいいんだっけ?なんて思ったのもいい思い出である。
ご縁というのは本当に不思議なものです。
で、つーさんだ。
つーさんは春から元気がない。
元気がないどころか、絶望した顔で「自分はもう長くない」とまで言い出すようになった。
長くないったって、それは自分で決めることではないし誰にも分からないことであるはずなのに。
今回の面会でも、つーさんは「ワシはもう長くないから」と悟ったような顔して言う。
(ワシというのは出身地の方言である)
「でも、それは分からないじゃない」
と、何度目か分からない言葉をわたしが返すと、
「分かるねん。ののっつさんも、タマモトさんもピンときてないみたいだけど、ワシはもう先が短い」
とこちらの目を見据えて言う。
変だな。
つらいとか、もうしんどいとか、その手の言葉はこれまでも聞くことはあったけど、こんな言い方をするのは初めてだ。
「近いうちに正式な遺書を送るから、それが届いたら本当にもう長くないんだと思ってほしい」
そんなことまで言う。
まぁ、この話以外は、いつものように大阪人らしいトークを繰り広げたり、こちらの体調を気遣って「忙しくしすぎや。時間が空いたからってあれしようこれしようって予定を入れないで、意識的に体を休ませなあかん」などと母さんのように励ましてくれる明るいつーさんであったのだが。
なんか変だ、と思いながら、1階にある売店で食べものの差し入れをし、家から持ってきた3冊の本を窓口で差し入れた。
駅までの道を歩きながら、引き続きなんか変だな、なんであんな言い方するのかな、と考えていて、ふと、つーさんもしかして変なこと考えてる?という思いつきが生まれた。
そうだとしたら発言の辻褄が合う気がする。
先が長くないと宣言したり、わたしへの手紙で「あなたはなぜ生き続けようと思えるのですか」と急に尋ねてきたのも合点が行く。
考えたくないけど、もしかして。
急に不安になってきて、タマモトさんにLINEを送る。つーさん、変なこと考えてるんじゃないでしょうか。と。
つーさんの置かれた過酷な状況を思えば、どういう考えが浮かんだって変ではない。
でも、そうだとしたら?
わたしは「そんなことしたらダメだ」と言うのか?
なんでダメなの。
と言われたとき、わたしには何が言えるんだろう。
何も言えることがない気がしてきて、思考が立ち尽くしてしまった。
帰りに寄る、いつものカフェ、きょうは7番目の席。
「ラッキーセブンや」
つーさんなら言うだろう。
ここの席につーさんが座ることは絶対にないのだけれど、でもきっと、ラッキーセブンだと言うに違いない。
どうしたらいいんだろ、杞憂なのかもしれないけど、もしそうだとしてどうしたらいいんだろう、そんなことを思う。
なにもできないとしても、ともかく、その人のために、どうしたらいいんだろうと思うことだけは続けられる。