コロナ記・その4
【発症5日目】
久しぶりに夜中目が覚めることなく眠った。
7時に起きる。
いきなり身を起こすとめまいを起こすかもしれないので、しばし体を横たえたまま、ゆっくりと体調を確認する。
熱、なし。
頭痛、なし。
喉、少しだけ痛いけどだいぶいいみたい。
めまい、うっすらと。
食欲、なし。
水に濡れたまま陸上で活動しているみたいな、あの体の重さも感じない。
確実に回復したことを確認。う、うれしい。
薬を飲むために蒸しパンをひと口だけかじる。
味…………あんまりしない?
熱や喉の症状が良くなるのと反比例するように、味覚は鈍くなっていっている気がする。これが後遺症というやつなのか?
病院では今日まで自宅療養と言われていたので、今日まではベットでじっとしていることにする。
4日間寝たきりで過ごしていたため体力がかなり減退しており、普通に出歩いたりなんてとても無理そうだ。
明日から一応外に出ても良いはずなのだが、念の為明日の予定はキャンセルしておこう。
明日、なにがあったっけ……。
仕事はもともとなくて、歯医者(クリーニング)と……あとヴァイオリンだ!
2週間ぶりのヴァイオリンレッスンを休むのは残念すぎる……。くくく、くやしい。
でもあの狭くてめっちゃ密室であるレッスン室に30分一緒にいたら、まだ残存しているウイルスでキャプテンにまで感染させてしまうかもしれない。いかんいかん。
その代わり、元気になったらまたまねきねこ練に励もう。
日中は体調を崩すこともなく、テレビを見たり、動画を見たりしてすごした。
録画していたNHKEテレ「こころの時代」の宮沢賢治の回を見る。
6回シリーズの4回目で、妹トシや「永訣の朝」をめぐる賢治の思いの背景を解説する回だ。今までわたしが知らなかった、トシが日本女子大学に在籍していたときに書いた文章や、トシのさらに妹のシゲの回顧録などが紹介されており、とても興味深い内容だった。
「永訣の朝」の終盤に出てくる「天上のアイスクリーム」という言葉について、『春と修羅』発刊後に賢治みずからが「兜率の天の食(じき)」と訂正を入れているのだが、アイスクリームというのは当時は富裕層しか口にすることのできない特権のような食べものであり、そうではなく、差別なく誰もが天上界で幸福になるという法華経の考えをあらわすよう「兜率天の食べ物」という言葉に変えたのだと考察していた。
なるほど。
でも、思想家・宗教家としての賢治にとっては「兜率の天の食」がふさわしかったろうと思うけど、大事な妹の命を悲しみ、その死後の安らけきことを願う優しいひとりの兄としては、トシに口にしてほしかったのは他でもない「天上のアイスクリーム」だったんではないかなと思った。
トシちゃんが白くつめたい天上のアイスクリームを食べているところを想像する。
とても素敵だな。
・・・
夕方、とても体調が良く、部屋でじっとしている状況に病んできてしまったため、マスクをしたままベランダに出てうろうろする。
久しぶりの外気にあたり、外はこんなに暑かったんだということを思い出す。
太陽にあたらないとセロトニンも分泌されないし、セロトニンが分泌されないと夜眠るためのメラトニンも分泌されない。
ベランダをひたすら8の字を描いて歩き回る。
それだけでもかなり散歩気分を味わえた。
夜は、夫が参鶏湯風のスープをこしらえてくれ、病院食のようにお盆で運んできてくれた。
とてもありがたい。
が、味がしない。
正確には「塩が入っているんだな」というのは分かる。そのほかの風味とか、だしの味とか、そういうのがまるでしないのだ。
添えてくれた海老しゅうまいも、わたしが所望した納豆も、すべて「しょっぱみ」しか感じられないのだ。(納豆にいたっては、しょっぱくてぬるぬるした豆でしかなかった)
昨日までは味がしていたのに……???
おかしいぞ、と思い、抹茶アイスを食べてみる。「冷たくて甘いものを口に入れている」ことしか分からない。悲しい。
もしやこれがコロナの味覚障害か……?
(ちなみに鼻詰まりや咳はない状態です)
ネットで調べてみたところ、症状が落ち着いた発症5日めとかそれ以降に味覚障害が出てきたという方がたくさんいた。同じパターン。
そして、失われた味覚が1週間で戻ったという方も、ひと月かかったという方も、それ以上続いたという方もいた。
味がしないものを食べるというのはこんなに虚しくて悲しいものなんだな……。やだな……。
とりあえず、効き目があったという方が多かった「亜鉛」と「ビタミンB12」のサプリを入手して飲んでみることにする。Amazonで速攻でポチる。
明日はようやくシャバに復帰できる……。
とはいえ調子に乗って出歩かず、家でリハビリする。
それにしても、発症からきっちり5日で体の症状はすべておさまったのは本当に良かった。熱が長くつづく方もいるようだし、症状も継続期間も人それぞれなのだろう。
そういえば、発症2日目だったか、あまりにも熱と頭痛が酷くて死にそうだったとき、わたしのなかでは本当に奥の手である「お父さんだのみ」をした記憶がある。
亡くなった父に呼びかけてお願いをするというおこないであるが、わたしはこの手を本当にマジで困り果てたときだけ使っている。
これまでに使用したのは3回くらいしかなく、そのいずれも願いの通りになっているため、「お父さんはかなりいい仕事する」と思っている(もちろん、無茶なことはお願いしてませんが)。
コロナのあまりにしんどい熱と頭痛に耐え兼ねて、窓辺に置いてある父の写真に向かって「お父さん、どうかこの頭痛を治してください、たのんます」と願掛けをしたのだった。
いまのところ症状はスッとおさまっているので、今回もお父さんが願いを聞いてくれたのかな、なんて思う。
ちなみに亡き父はわたしの夢枕に3度だけ立っており、これまたいい仕事をしている。
もっと出てきてくれてもいいんじゃないかと思うのだが、本当に用件があるときしか出てこず、そのいずれもかなり具体的な指示を出してくるのだ。
あれをするのは辞めろとか、あそこへ行くなとか、そういうこと。
その指示内容がかなり的確なので、父の夢の指示には従う、というのもわたしのなかでは守っていることのひとつである。
それにしても生きているときはほとんどそんな指示とかアドバイスなんてしないような父だったのに、亡くなってから急にそういう立ち位置に立つというのもなんだか不思議なものだ。
父も、天上のアイスクリームをたべたのだろうか。
食べているといいな。
そしていつか、隣で一緒に食べたいとも思う。