悲しゅうて、やがておもしろい
お盆休み、入谷にて、友人である四季さんと会ってきた。
入谷というと台東区、上野も近いあたり。来るのはいつぶりかな。
入谷と三ノ輪のまんなかあたりに女学校時代からの友人オーちゃんが住んでいて、何度か遊びに来たことがある。
けど、それ以外では来たことない気がするな。入谷といえばの鬼子母神にもたぶん行ったことない。
四季さんは各地に「行ってみたいと思ってい た店(喫茶店、レストラン)」があって、いつも具体的にどこそこに行こうと誘ってくれるので、ぼんやり生きているわたしには刺激的でとてもありがたい。
入谷駅からすぐ近くにある「トロント」という老舗の喫茶店でランチセットのチキンの香草焼きを食べた。
いかにも昔からここにある喫茶店という風情の店内のしつらえで、みっしりした赤いソファーに常連らしきおじ様たちがずらりと座ってランチを食している。
夏バテ中の胃袋なので、はたしてランチを食べきれるかな……?と注文のときにかなり迷ったけど、鶏肉、とてもおいしく食べきれました。お肉成分がしみじみと身体に沁み渡る。
香草焼きって自分ではなかなか作らないけど、おいしいよね。
四季さんが最近見つけたすばらしき靴屋さんの話とか、美容の話とか、わたしがコロナになった話とか、身近にいる会話泥棒についてとか、話は尽きず、夕方まで(途中でお店、移動しました)たのしくおしゃべりした。
四季さんは「悲しゅうてやがて笑える」みたいな感覚が共有できる人で、日常で起きた絶妙に恥ずかしく切ない事件を一緒に笑い飛ばしてくれる友人である。
喜怒哀楽のどれをも最終的には笑いに変えて成仏させるっていう感じなのだが、これって生き抜くための智恵でもあるよなーとしみじみ思う。
悲しいことだって、怒りを覚えることだって、喜びですら、ちょっと笑えることになりうる。
「面白うてやがて悲しき」ってあるけど、「悲しゅうてやがて面白き」のパターンもあるよね。どんなことでも、面白くなっちゃえばもう乗り越えたようなもの。
自分だけではなかなか難しい、その「恥の弔い」(作業)を共にしてくれる友人の存在はありがたいものである。
ところで、会話泥棒についての話はほんとに興味深かった。
会話泥棒。
「そんなところで話をかっさらって行く!?」っていう人のことです。
それが話の本質ではないのに、たったひとつのワードに反応してかっさらっていく。いるいる~。
こちらの困りごとを聴いてほしかったのに、なぜか相手の類似した困りごとを延々聴かされるはめになり、おかしいな……と首を傾げながら疲労する、みたいな。
会話というのは「相手の話を聴く」スキルもたいへんに大切だと思うんだけど、なぜか「自分の話をする」ことばかりでコミュニケーションをはかろうとする人とリアルに遭遇することは割とある。
お互いにそういう人同士なら成立するのかもしれないけど、聴き役の人だと結局こちらがずっと聴いてることになってしんどいよね。
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食後に四季さんが頼んだプリンに目をまるくする。
わたしはデザートまで受け入れる胃の容量が残されていなかったため頼まなかったが、見ているだけでこれはすごい。
お見事!と言いたくなる、そびえたつお姿。
移動した「イリヤプラス」にて。
ここでもレアチーズケーキを召し上がる四季さん。
たくさん食べられるって憧れだよ。マジで。
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お盆休みに読んでいる本。
ひとつの家族が離婚や逮捕でばらばらになって、そしてふたたび出会うまでの旅を追っているような不思議な気持ちになりながら読んでいる。
亜希さんと息子さんたちが絶妙に健やかで、すくっとしている。そして日々登場するお弁当がとにかくすごいのだ。愛と力に満ちている。
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9月に、京都に行くかどうかをずっと迷っている。
旅行じゃなくて、以前お世話になったお坊さんからあるお祝いの催しに招かれている。
だけどその数日後にちょっとした手術(日帰りの…)があるのと、仕事のこととかその他もろもろ考えて迷いに迷う。
もし行けば、ここ何年か会えていないわたしが大好きなご姉妹に会えるかもしれなくて、すごく会いたいな~と思うのだが。京都……。うーん、京都……。
どこでもドアが使えたらいいのに。