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「めぞん一刻」再読

「めぞん一刻」は1980年代にビッグコミックスピリッツに連載されていた、高橋留美子の名作漫画だ。
私が1985年に結婚した当時、夫となった人がスピリッツを愛読していたため私も途中から読み始め、コミックスも買って後追いしながら完結まで熱心に読んだ。

全巻揃っていたコミックスは、読み過ぎてボロボロになって、もう暗誦できるほど読んだわ、と思って廃棄したのだったが・・・

最近ふと思い出したら猛烈に読みたくなり、検索したところまだちゃんと紙の本として発行されていることを知って大人買いした(新装版1~15巻)。


ちなみに「ふと思い出した」きっかけとは、斉藤由貴。
今年「歌手デビュー40周年」だそうで、ラジオ聴いていると40周年記念コンサートを盛んにプロモーションしていて。
「悲しみよこんにちは」を聴いていて「これ、めぞん一刻アニメの主題歌だったよな~」と思ったところからだった。


15巻あるので、1日1巻、大事にじっくり楽しんだ。

なんせ、40年前の漫画なので、今読むと「古風だな」と思うと同時に「コ、コンプライアンス・・・(^_^;)」と思うところがいっぱい。
のぞきが趣味の四谷さんとか、なんでもかんでも首を突っ込んでくる一ノ瀬さんとか、高校生なのにお酒飲んで酔っ払う八神ちゃんとか、設定自体が今だったら完全アウトなのでは?(一ノ瀬さんはああ見えてちゃんと奥さんもかーちゃんもやってるというところもまた、今から思うと時代なんだよね)

まあ、そんなこと言ったら一刻館自体が、今ではあり得ない存在ともいえるかもしれないけど。
でもデフォルメとしても「あるある」としてもギャグとして受け入れる寛容さが当時はあったし、五代くんが友人の坂本らに誘われてソープに行ったりとか、私は当時でも「えぇ~(-"-)」と思ったけど、「まぁ、男性向け漫画誌だし」で流せてしまう、そういう時代だった。

しかしそんな「男性向け漫画」であっても、主人公の五代裕作の「優しくてとにかく人が良い」キャラクターは、当時の女性にとっては、いや、少なくとも私にとってはかなり「理想的」だった。
なにより、子どもが好きで子どもの扱いに秀でていて、保父さんとして独り立ちする、という姿は非常に好感度が高かった。
それは今読んでも変わらない。
高橋留美子は五代を「男」としてではなく「人」として描いたのだと思う。
今に通じるその感覚を当時から持っていた高橋留美子は、全部わかっていて「男性向け漫画誌」の漫画を描いていたのだと思う。
すでに巨匠ではあるけれど、もともとからすごい漫画家さんなんだなと、まあ言わずもがなではあるが。

この漫画で特に上手いなぁと思うのは、十年一日のようなドタバタギャグ展開の中で五代くんと響子さんの関係をほんとうにじわじわと、しかしきっちり進めていることで。
個人的な感覚だけど、後に三鷹さんの嫁になる明日菜さんが出てきた辺りが、ラストに向けてアクセルを踏み込んだところだったのではと思うのだけど、読んでる側としてはそこからがまた少し長くて。
つまり、三鷹さんの結末が見え始めてるのだから、五代と響子の結末もそろそろ見たいと思うのに、そっちはまだジワジワしていて。

そんな読者のフラストレーションの風船がパンパンになったところで、朱美さんが決定的な名言を吐いて、その風船を割ってくれたところがある。
新装版14巻のPART10(150話)

朱美さん、グッジョブ!

もうね、私にとってはこここそが全161話の中のベストシーン。
「ここから一気に行くわよ!」という作者の声が聞こえた気がしたシーン。
当時、読者としてもエンジン全開になった気がしたその軽い興奮を、今回も同じように味わったのだった。

ここからラストへの11話で五代と響子はお互いの気持ちを確かめ合いながら結婚と言う次のステージに向かうのだけど、その過程での惣一郎さん(響子の前夫)への五代、響子、それぞれの気持ちの整え方にはほんとうに感銘を受ける。
特に響子の心情には泣けてしまう。
それと、今まで150話に渡って一刻館の変人たちと不毛なギャグを展開してきた五代裕作であるのに、ここへきての惣一郎の受け入れ方や響子さんとの人生への覚悟なんかが決して唐突に見えない、むしろここまで成長したのだなと思える、高橋留美子の描写力に、ここでもまた感動するのだ。

何十年ぶりかに見たラストシーンに、初めて見たかのように感動し、涙腺が緩んだ。

人気絶頂だった当時の実写映画は正直酷いものだったが、今だったらもっとずっと上手く料理できるのではないだろうかと、つい欲が出てしまうが。
やっぱり時代が違うかなぁ・・・・


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