宝塚歌劇雪組「ベルサイユのばら フェルゼン編」
宝塚歌劇雪組公演「ベルサイユのばら フェルゼン編」東京大千秋楽を配信で観た。
漫画、宝塚歌劇ともに「ベルばら」の洗礼をリアルタイムでまともに受けている世代として、もう「見たくて見る」ものではなく「見なければならない」という感覚の作品だ。
実は、本音を言えば植田歌舞伎は好きではない。
今の宝塚があるのはひとえに植田紳爾の功績と言っても過言ではないくらいの「宝塚版ベルサイユのばら」だけれど。
この脚本が通用したのは天海祐希がいた時代の「平成ベルばら」までだと、個人的には思っている。
その後は見るたびに脚本の言葉遣い、セリフ回し、ストーリーの展開などに違和感を感じるばかりになっていった。
今回は10年ぶり、時代は令和だ。
多少のアップデートはあるんだろうか?と思いながら観劇に挑んだ。
アップデートは・・・あった。
衣裳とダンスシーン。
それと、オスカルとアンドレの「今宵一夜」のシーンのセリフ。
まず、衣裳が全面的に新調されていた?ように思った。
少なくとも以前の「ベルばら」の使いまわしではないと思う。
全体的に色遣いがとても上品になっていたし仕立ても豪華になっていた。
アントワネットのアイコンのような真っ赤っ赤なドレスは最初の1シーンだけで、あとはブルー系の衣裳が多くて、それもとても良かった。
あのシーンはたくさんの貴婦人の中で一目で「この人がアントワネット」とわからせるために必要だったんだろう。
ポスターに使われたピンク色の衣裳も夢夢しくてステキだった。
ただ、髪型も含めて「フランス王妃」の恰好ではないだろう・・・という違和感があった。
ポスターにもフィーチャーしたあのピンクピンクの意図はなんなんだろう・・・
ダンスシーンは、新たに作られたものがいくつか。
フェルゼンとアントワネットのデュエットダンスや、2幕冒頭の市民の戦いをイメージしたような群舞など。
今の時代の振り付けで、気持ちよく観ることが出来た。ただ、定番のシーンはほぼ原典通りなので、かえって元の脚本演出の古臭さが目立ってしまったことは否めなかった。
アンドレが死んだ後のオスカルの戦闘シーンのダンスも、若い頃は心ときめかせて観たものだったが、今となっては振り付けの単純さが目に付いてしまう。
今回の舞台ではそのダンスシーンで、朝美絢をはじめとしたダンサーたちの足さばきがシャープで美しいことに、時代が進んだことを感じたりもした。
そして、オスカルとアンドレの「今宵一夜」のシーン。
オスカルがアンドレに言う「今宵一夜、お前の妻に・・・」
が、「愛しているなら、なぜ抱かない?」に変わった。
これはもう、申し訳ないけど「はぁ?」の一言に尽きる。
まったく理解できないアップデートだ。
そして、いきなりオスカルが床にひれ伏すような動きも、長谷川一夫大先生の指導だから外せないんだろうけど、台詞が変わったことで間が悪くなってしまって、非常におかしな動きになってしまっていた。
総じて、植田紳爾の脚本は言葉数が多すぎるのだ。
漫画のセリフを、独白も含めて全部言葉にしてしまっている。
情緒も余韻もあったものではない・・・・・
と、私はいつも苦々しく思ってしまうのだった。
それでも観てしまう「ベルばら」。
宝塚歌劇にこれ以上似合う作品はないだろうと思える「ベルばら」。
原作に込められているポリシーは人間社会においてとても大事な、普遍的な物だとも思う。
だから、時代に合わせた改訂をしてほしい。
いつの時代においても、素直に共感できる作品であって欲しい。
それで初演に関わった人たちの功績が消えるわけではないのだから。
演じる生徒さんたちはいつもと勝手が違ったことだろう。
さぞかしやりにくかっただろうなあという、「植田歌舞伎」を消化しきれてないなと思われる人と、古臭いセリフ回しをものともせずにしっかりお芝居が出来ている人の差がかなり見えた。
上手いと感じたのはダントツで朝美絢、そしてアンドレの縣千。
あと、ジャンヌの音彩唯。
台詞のカビ臭さを全く感じさせない見事なオスカルアンドレジャンヌだった。
・・・と言いつつ、お芝居のラストの監獄シーン。
そこまで、アントワネットの夢白あやの台詞回しが硬いのが気になっていたのだったが、最後の最後で攻略していた。
さすが、伊達にトップ娘役を掴んでいないね、と頼もしく思った。
これから始まるあーさとのトップコンビが俄然楽しみになったのだった。
そして、今回はトップ彩風咲奈のサヨナラ公演でもあった。
2番手時代の彼女が好きで期待していたトップさんだったが、コロナ禍に丸被りしてしまい、彼女のトップ作品を見る機会がほとんど持てなかったのがとても残念だった。
足が長くてスタイルが良く、ダンスが上手で、本来の容姿は美しさと可愛らしさが同居しているとても魅力的な人。
男役を卒業してもエンタメ界に残ってくれることを切に願う。