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M&Aの波に飲まれて気が付けば情シスになっていた話
以前、ブラック企業とホワイト企業の対比で前職と現職を書きました。
沢山の方に見ていただいて、感謝感謝です!
今回はM&Aという切り口で前職と現職を書いてみました。
まずは、まだ「情シス」という名前も知らない少し昔、20代の前職の私の経験をメインに記します。
M&Aされる日
入社して2年目のことだった。
「社長が会社の株売ったらしい」ふわっとした噂が社内で流れた。
オーナー社長率いる会社だった。社員はなんとなくの未来への不安でざわざわしていたが、私の周辺ではその答えを知っている社員はいなかった。
特になんの発表もなくその日はやってきて、かなり後になってから、実はその日に株主が変わったのだと知った。
組織変更
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都会から、スーツの男性がよく来るようになった。2〜3名。時には10名、その時は女性も2名くらい。
何をしに来ているのかは謎だった。
会社から発信は何もなく、なんとなくいつもと違う、を感じながら1ヶ月ほど経った。
オーナー社長(もうこの時点でオーナーではなくなっているのだけど社内で公表されていない)は相変わらず本社のいつもの場所にいた。
本社の別のフロアの机に都会からのスーツ男性が2人毎日座るようになった。
会社に何が起こっているのか全くわからなかった。
都会スーツのいるフロアで働く機会があった。標準語が新鮮。関西人からするとやたらと紳士に思えた。こちらの仕事の流れが知りたいらしく、聞かれた。答えられる範囲で答え、指示された仕事も行った。
この1日がその後の私をガラッと変えていくのだった。
しばらくして組織変更が発表された。
既存の役員も継続、社員の雇用もそのまま維持されていた。
都会スーツは社長と顧問になっていた。組織図に私は新社長の秘書と書かれていた。
オーナー社長は子会社の社長になっていた。
新しい組織のキックオフミーティングで、会社の状況を初めて知った。オーナー社長は株を売り、今私達の会社には新しい親会社が存在するのだと。その親会社から彼は社長として選ばれたのだと。
なぜ私がここに呼ばれたのかと聞くと、「momさんだけが、帰る前にその日の業務の報告をしてくれたんだよ」と言われた。そんなことで?とただただ疑問だった。
悪者
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同じ本社ビル内に新社長と旧オーナー社長がいる世界。今でも心から思う。最悪だったと。
私は、新社長に言われるやったことのない仕事をただただ次々にやっていった。
当時、就業規則がなかったので社労士の方と顧問と相談しながら作っていった。
給与明細が手書きの紙だったので、デジタル化することになりベンダー様と総務部との間で調整して動いた。
印刷した給与明細を旧オーナー社長に渡すように顧問から指示があり、階段を降りて持っていった。
旧オーナー社長はそれを見て目の色が変わり、その給与明細をビリビリに破り何度も踏みつけた。
バラバラになった紙をひざまづいて拾いながら、胸がキュッと苦しくなるのを感じた。紙を拾う自分の手と床の景色が、涙でぼんやりにじんだけれど、なんとかこぼれないようにぐっと辛抱した。
エレベーターの前で、旧オーナー社長のそばにいつもいる役職者に声をかけられた。と、いうか怒鳴られた。
「新社長に気に入られてるからっていい気になるんやないで。あいつはスパイだから、あんたもスパイの仲間やで」
オーナー社長が正義の世界で、新しい親会社はよそ者で悪。自分たちの会社を乗っ取りにきた悪者。会社法とかそんなの関係ない。正規の手続きも関係ない。心情として、認められないのだった。
新社長と顧問には文句も言いにくかったのだろう。今の状況に納得できないストレスを、若い私にぶつけたのだった。時には罵声を。悪口を。嫌がらせを。イジメといってもいいレベルだった。
システム担当
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私は秘書から経営企画部に異動となった。といっても、隣に社長がいて、目の前に顧問がいることに何も変わりはなかったし仕事もそのままだった。
組織図では顧問が私の上司である部長になっていた。社長秘書から外すことで、嫌がらせの標的にならないようにしたのだと後から聞いた。
その時には新導入予定の基幹システムやサービスの打ち合わせを進めていくのが私の仕事になっていたので、部長の指示をもらいながら協力会社様に助けていただきながら動いていった。
部署が変わろうが嫌がらせは相変わらずで辛かった。本社内でアウェイなのは新体制のフロアだった。仕事上どうしても発生する他フロアとのやり取りの都度、心が痛んだ。
ただ、それを耐えたいと思えるほどに経営企画部のシステム担当の仕事は楽しかった。
「momさんは非定型業務に向いているね」
新社長が言う。
「ひていけいぎょうむ?って何ですか?」
「毎日何が起こるかわからないけれど、何が起こっても対応していく仕事だよ」
自分の適性というものを知った瞬間だった。
M&Aから3年
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この体制では3年間過ごした。新体制は上場を目指していた。新社長からマーケティングの話を聞いたり、さらに都会から時々やってくる公認会計士の役員の頭の良さにびっくりしながら指示された慣れない決算数字を役会資料にしたり、上場準備のために監査法人様や証券会社様と打ち合わせの日々を過ごしながら、ルールやIT環境を整えていく。
何にもない会社。
全部がオーナーが決めた独自のルールだったのだ。
稟議書を導入したら「こんなめんどくさいもんやってられるか」とベテランの営業社員から怒鳴られた。怒りをなだめながら、コツコツと必要な理由を説明しながら、ご納得いただくために毎日心を削った。
数年前、新卒で上京して営業部で働いた上場企業の数年間の環境や仕組みを思い出しながら、監査法人様や証券会社様や、周りの都会の上司達からいただく沢山の情報から見えてきた、私の中でぼんやりと想像する「あるべき姿」を目指して日々が過ぎた。
その時にはPCなどの端末のキッティングや、導入した複数のシステムの管理者、ヘルプデスクも行っていた。
気がつけば私はひとり情シスだった。
やがて旧オーナー社長が会社から去り、エレベーター前で怒鳴ってたあの役職者も私と同じフロアで机を並べるようになった。今までのことはなかったかのようにやたら優しくなり、私の顔を見るたびに褒めてくるようになった。大人なので笑顔で接した。
転職
その後、社長が代わり、方針が変わり、ITは雑用とされていった。社員からの「ありがとう」だけが支えだった。十数年のひとり情シスという経験と長年の準備からのIPO経験、何より忍耐という経験をして私は転職した。
新しい会社。今度はM&Aする側の情シスを経験するのだった。
M&Aされたことのある情シスが語るM&Aする側の情シスの話 へ続く
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