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「大滝瓶太」という現象について--大滝瓶太『コロニアルタイム』

正直にいうとこの本についてなんて何にも書きたくなかった。著者を知っている状態でその作品に言及するなんて、内弁慶で豆腐の角どころが豆腐の真ん中で殴られても死んでしまう未だ飼い慣らせない可愛い小心者のこうさぎちゃんが内々で暴れまわっている私からしたら荒波のごとく押し寄せる怒涛の忖度に埋もれるも同然で、なんかもうおもんなくても、「お、おもちろかったですぅ…」としか言えなくなるのが目に見えているからだ。

それでも本を読み進める中で「な、なんか書きたいかも…」なんて思わされたのは、私の図々しさなのか、はたまた積日(積年というには付き合い短いからね)のセクシュアル・ハラスメント・リプラィに対する恨みなのか、単純に彼の作品が素晴らしかったからなのか…。それはハヤシ・ミレニアム問題として賢い人たちの判断に委ねるしかないのだけれど、とにかく私はこの本を読んでそんな気持ちにさせられたのだからしょうがない。

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🌾以降、この本についてのネタバレがあります。

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人並みの多感さを持っていた子どもにとって、父のような人間に好感を抱くことはなかなかむずかしい。 きらいだった、とはいうつもりもないし実際にちょっとニュアンスもかわってしまうけれど、むずかしいひとだ、とはおもっていたし、いまでもそうおもう。 同時に父はひどく単純な人間にもみえた。大滝瓶太、「騎士たちの可能なすべての沈黙」、『コロニアルタイム』、Kindle の位置No.27-30

大滝瓶太、彼の小説を読んだのは初めてだけれど、別名義でWEBメディアに寄稿した記事やツイートを読んでいるため、彼の文章や思考をそれなりには知っている。だから、一編目である「騎士たちの可能なすべての沈黙」を読んだ時、著者である彼自身が強く反映されているな、というのが最初の印象だった。語り手である「ぼく」の出自や“父と子”というモチーフ、文体、思考の動きまでそこかしこに著者自身の影が感じられる(彼が同じ文体で日々Twitterで「おちんぽ」と呟いているせいで、幾度か「おちんぽ」が頭をよぎってしまうほどに)。天才数学者の(端的に言えば、岡潔的な)父親と、農村育ちの「ぼく」。「ぼく」は父親のことを理解できずに生きてきた。父親も、多分いつだって「ぼく」を理解できなかったのだろう。ノスタルジックな情景と天才の孤独、一見ありふれた題材だが、著者の知識や思索に裏打ちされ独自の世界観が作り出されている。この作品は日常的に知る著者から十分に連想しうる物語だった。

しかし、二編目の「ソナタ・ルナティカ Op. 69」はしんどかった。ものすごく。この話では、世にも退屈な楽曲「ソナタ・ルナティカ Op.69」の末路とその作曲者の半生が描かれている。これが長い。18切符で東京から京都へ向かうときの静岡くらい長い。そして、この話が行き着く先が見えない。一編目で示唆に富んだ仕掛けや伏線をいくつか感じたのに、全く回収されない。これは一体なんなんだ。一瞬(三瞬くらい)、本を閉じそうになった。

少しうんざりしながら三編目の「演算信仰」へと読み進めた。そして、私は脳天を撃ち抜かれる。「おろかものめ」そんな著者の声が響く。世界はずっと、繋がっていたんだ。「ソナタ・ルナティカ Op. 69」はそれ自体が「ソナタ・ルナティカ Op. 69」だったのだ。そのことに気づかされる。
「演算信仰」において、“オラクル理論”のもと、今、過去、未来、私、全てが演算可能になる。私、そして存在しえた誰かの人生はコンピュータ上で忠実に再現できるのだ。たとえどんなに取るに足らない人生であっても。演算の前では天才も凡人も全て平等という、切なくも圧倒的な事実を前に、私の頬は喜びで緩む。

そうして、繋がった世界は四編目「コロニアルタイム」でバラバラにされ、再編される。今は死んでいなくなってしまった人、まだこの世に存在しえない人、全ての時間軸の人が同じ世界で会えるようになる。そんな世界で日常を生きる「わたし」の話は緩やかに物語を終わりへと導いてくれる。

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この本を読んで著者である大滝氏が「エモい」という言葉を嫌っている(ほとんど憎んでいる)理由がなんとなくわかった気がする。彼は、文学、あるは書評というものを通じて、定性的に「人間」という現象を解体しようとしているのではないだろうか。語りえない情動を、景色を「エモい」という記号に丸め込んだ先にある、本当は多様だった情景、存在しえたあのカタルシスが収束した画一的な何か、そしてそれがもたらす「人間」という現象自体の希薄化を恐れている。そして、なんとなくそうしたものへの小さな反抗として、この本は書かれたような気がする。
だからこの本は著者の自己紹介という役割も担っているのだけど、読者としては自己紹介のその先にある作品を、つい期待してしまう。

P.S いくらなんでもセルフリファレンス・エンジン・ライク・セルフリファレンスはないやろ。


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大藤ヨシヲ
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