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プロってなんだろうと考えたわたし

さて、導かれるようにして展示を見に行き

いろんな作家さんの作品をお迎えして帰ってきた私


並べた作品を見ながらこれは自分用

これはおみやげ用……じゃなくてやっぱり自分用

これは……

ここでひとつ気づきました

自分用が、ある作家に偏っている


いままでオフ会的なイベントに参加したり物販を楽しんだことは何度かありました

たぶん私はそういうときの金払いのよさで有名で

自分用、布教用、おみやげ用…ととにかくたくさんの作品を買うのが常

そしていつも帰宅してからは

買い物袋を開けることすらしないことも


結構あるんですよね、買い物やその場の雰囲気を楽しんでグッズはどうでもよくなることって

なんで買ったんだろう?とか

なにか良かったんだろう?なんてのもざら

若干の買い物中毒でもあるので、買うことが目的になるなんてこともしょっちゅう


それが、そうはならなかった

というかむしろ

その作家の作品は

家でじっくり見たほうが

よりよく思えてきた


芸術や美術とグッズの違いはわからないけど

でもそういうものなのかな?って思いました

単純に作品の出来?レベル?とかそういうもの?

でも

次の日みたら、前よりもよく思えてきた

あれ?なんか、きのうよりいいよね?

そして、あれ、こっちはもうなんとも思わないな

なんでお迎えしたんだろ?しまっちゃお

なんてものも出てきた

それは別の作家さんの作品でした


ここではっきりとわかったこと

それは何度見ても何度触っても

その鑑賞に耐え得る完成度と魅力があるかないかの差


そして、また次の展示も見に行きたい

次の作品も手に入れたいと思わせるなにか

そう思ったときに 

『次回の展示は何月に、どこそこでやります』と告知が出来る企画力と

『リピーターの方はこの期間でしたら自家通販出来ますのでご相談ください』と言える盤石さ


プロってなんだろう?と考えたとき

まずはそれで生きていけるちから

食べていける能力、才能、技術力と思いがちだったけれど

私にとってのその作家、我流切紙人の凄みは

作家を継続するちから

長期鑑賞に耐え得る完成度

作れないものなど無いという信頼感

そしてなにより

次も欲しくさせる、欲しくなったときに買える環境を用意できるちから


あ、この作品いいなと思ったときに

どれだけ速くそのひとに声をかけて展示会場まで足を運ばせるか

私が新幹線に乗ってまで作品を見に

我流切紙人に会いに行ったように



いろんなタイプのプロはいると思います

大型で高価で誰しもが手に入れられるものではなく

それこそ時間をかけて一点ものを作ってそれで生きていけるプロもいるでしょうし

とにかく量産型で、それが一時的な売上であったとしても大量に売れることで生きていくタイプもいるでしょう

私が出会った我流切紙人は違いました

技術はもちろんある

そこに驚異的な速さがある

売上や反応をみて自分の作品を切り捨てる決断力ももちろん

でもそれだけではなくて

相手を、流れを、求められているものを見極めて

それに合わせて完成度を変えることが出来る

自分の技術力を調整出来るひとはなかなかいない


誰だってフルスイングの全力の最高の品を並べたい

それを評価して欲しいし、下手なものを並べて実力を誤解されたくもない


これは手を抜いたから安く設定しよう、ではなく

この価格で手にとってもらうための

範囲ギリギリちょっと超える完成度に仕上げる

ちからの抜きどころを間違えない


博物館や専門家が認める実力を持っていながら

『これかわいい!』だけで手にとってもらえる作品も作れて

しかもよくみたらなんかすごいことやってるっていう

そしてオーダーを受けたらサイズや予算に配慮しながらその枠内で最高の品を

全力ぶつけるときはそれはもう度肝を抜くような完成度の作品を


いつもにこにことして穏やかな雰囲気をまとったひとだけど

シビアですよ、私が知ってる作家のなかでもダントツに

遊び心もあるけれど

軸足がまったくぶれない


作家として食っていくっていうのはこういうことだぞ

見ていて惚れ惚れするほどのプロ作家です


















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のの(クセつよいきものイラストレーター)
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