「普通の人生」を手に入れられない大人
来年、年女。
36という数字はバツイチ子なしにはとんでもなく可愛くない数字に思える。
"歳を取るたびに人生が楽しくなっていく"
20代からずっとそんな感じがしていて、年齢を重ねることに抵抗はなかった。
きっと子供を産んでいれば、その感覚は続いていたと思う。
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"普通"という選択肢からドロップアウトした私は、若い頃に制作会社で稀有な体験を沢山し、アドレナリンジャンキーになった。
"感動"を求めて、どんどん仕事にのめり込み、エスカレートしていった。
30に差し掛かり「普通」の道が羨ましくなってきて、でも手放せない仕事があって、天秤にかけながら、泣きながら「女を捨てる」と言い聞かせて働いていた。
35歳になって、ラストチャンスか、もうアウトか、ぐらいになっていよいよ「特殊」に嫌気がさして、仕事を辞め、離婚。
大急ぎで「普通」のレール探しをして、見つけて、乗ったつもりでいたけれど、本当の「普通」のレールに乗っている人には話せないようなロードマップ を昨日も今日も、眺めている。
「普通」の仮面を被っているけど、やっぱりもう全然普通じゃない。
女性的本能に長けている人は、若い頃から「普通」のレールに乗ろうと、計算で動いていた。
そこそこの男性と結婚して、妊娠して、子育てをする。
思えばあの人も、あの人も、あの人も、能天気な男たちを騙すように、誘導するように、妊娠をして結婚に運ばせていたな。
私は、「いつか自然に出来るだろう」と甘い見積もりでいたし、男に食わせてもらおうという思考もなかったので、そういうやり方を白い目で見ていたけど、今になってはクレバーな女性だなとただただリスペクトしている。
そうでもしないと、男時間に合わせてたら女なんてすぐにババアになっちまう。
私にはもう永遠に手に入らないものかもしれない。
諦め半分で私は来年も「普通もどき」を探すと思う。
いろんなことから逃げてここに辿り着いたわけじゃなくて、その瞬間瞬間で挑戦をして、選択をして、ベストを尽くしてここに辿り着いた。
自分で選んでここに辿り着いたのに、どうしてこんなに虚しいんだろう。
きっと外側から見れば「しくじった」なんて思われない生き方だと思う。
都内で自立して生活して、自慢の彼氏がいて、仕事も安定して、「充実してます」って顔ならいくらでもできる。
それでも、本当の私は、毎日負けていて、生きているのがだるくて仕方がない。
今年はもう諦めた。
来年からは、非人道的プランで出産までのルートを新しく探す旅だ・・・。
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