見出し画像

泣き虫のよく聴く-MUSHI

自分でつけたタイトルながらダサいですね!
柴田ののかです☺︎

今ね、”自分の中のKANA-BOONの時間”が再来しとるんか…?ってくらい、
KANA-BOONというバンドが心に刺さりまくっているんですよ

つい最近、三叉灯で仕事していたらふと店内BGMから谷口鮪さん(KANA-BOONのボーカルさん)の声が聞こえてきたんです

三叉灯って下北沢にある雑貨屋さんで店内BGMとしてロックバンドの曲が流れることってないので、他人の空似かな…と思って確認したら「KANA-BOON」の表記
やっぱり鮪さんの声で合ってました◎

聴いたことない曲だな…と思って調べたら、最新曲『日々』

ロックバンドとは言いつつイメージにあるようなThe・ROCKな激しさではなく、
しっとりとした曲調・仄暗さと仄明るさの中からあたたかさを感じる歌詞で

三叉灯のBGMは割とランダムですが”三叉灯っぽければOK”なので
わたしは飛ばさずそのまま『日々』を流し続けました

そこから家に帰っても『日々』を聴くようになり、年末年始のこともあって、
学生時代に聴いていた曲とか、自分の中のKANA-BOON空白期間の曲とか…
ここ一ヶ月ほどKANA-BOONをメインに聴きながら生活しております

そんでnoteにKANA-BOONのことを書くかと思ったはいいんですけど、
いつもタイトル決めてから内容を書くのに今回は内容が先にきてしまいまして、
悩みすぎたってしゃーないと思って勢いでつけたらこんな仕上がり☺︎

なんかやっぱりダサいですね!

音で聞くといい感じに聞こえなくもないんですけど、
文字で見るとやっぱり全然いい感じじゃないですね!字面の絶妙なダサさ!

あは!自分のセンスの無さを恥じながらそれでも書き進めますよ!

”お父さん運転の助手席で聴く、KANA-BOON”というのが個人的な乙

2025年、今年は数年振りに実家で年を越しました。地元で年越しも数年振り。

お墓参り・挨拶回りや帰省恒例駅までの送り迎えなど、地元を移動する車の中で『TIME』を聴いていて久々の懐かしさを覚えていました。
『TIME』、2015年にリリースされたKANA-BOONの2ndアルバムです。

わたしの父は運転がすきな人で車内BGMにも余念がないのですが、わたしが助手席に座るといつも何も言わずに『結晶星』を流してくれます。
『結晶星』、2014年にリリースされたKANA-BOONの2ndシングルです。

わたしが「あれ聴きたい」と言っても”あれ”だけで迷わずその曲を流してくれますし、黙ってプレイリストから曲を選び出そうとしても父はボタン操作を教えてくれて自然とその曲が流せるように誘導してくれます。
ちなみに『TIME』の4曲目に、『結晶星』が入っています。

”お父さん運転の助手席で聴く、『結晶星』”

言葉で聞くと”いい感じ”に聞こえるかもしれないのですが、
この字面にわたしは”幼さ故の恥ずかしさ”も感じてしまうのです。

これはいつまで経ってもうまく言えない感覚なのですが若気の至りといいますか、
”劣等感も強くて尖り散らしているのに泣き虫だった幼き中学時代とともにあった楽曲”というのが自分にとっての『結晶星』で。
『結晶星』やKANA-BOONのおかげで乗り越えられていた時期や気持ちがあったという確かな過去とその過去の存在によって悶えたくなる不確かな感覚を未だ消化しきれずにいるんですねー。

きっとこれはどれだけ消化しても消化しきれない感覚なのではないかなと思っています。
その過去がある限りは存在し続ける気持ちみたいな。もしかしたら懐かしさに殺されそうになる感覚に近いものがあるのかもしれません。

年始の親戚の集まりのための買い出しにて、お父さんの助手席にいたら買っていただきました。あざす。
子どもの頃、年一の家族旅行のディズニーは両親が交代で運転し片道6時間くらいかけて車で行っていました。その時に両親がMt.RAINIERを旅のお供にしていたなぁってふと思い出しました。

初めは、イヤホンで、一人で、聴くのがすきだったんですよ。

ラジオから流れてきたその歌に感動して。歌っている人の声に惹かれて、満天の星空みたいにきらきらした楽器の音に惹かれて。
例の如くSCHOOL OF LOCK!なんですけどね。ジングルの曲紹介で『結晶星』やKANA-BOONを知って、曲調とは裏腹な歌詞の現実味と泥臭さをすきになって。

ジングルだからフルで聴けなかったのに、あの僅かな時間で心鷲掴みにされて。
すぐにYouTubeで検索してMusic Videoとともにちゃんとフルで聴いた『結晶星』

涙が止まらなかった、中2の冬のできごとです。

中学生、多感なお年頃ですよねー。葛藤とか不安とか劣等感とか不安定とか。
自分にとってそのピークが中学後半、だったような、気がするんです。
まあ、なんとなくですよ。なんとなくその時期だった、気がするんです。

なんか心の中にトゲトゲしたものが生まれて、自分自身にも突き刺さってた時期。そんでそういうトゲトゲしていたものをどう処理していいかわからなかった時期。

学校では同級生とどこかすれ違い、合唱団では選抜落ちでやりたいことができず、
そういううまくいかないの積み重ねの中で劣等感を育んでしまった時期。
中1,2と二年間担任だった先生から三者面談で自己肯定感の低さを指摘されて、
親の前でそれを言われてしまう劣等生だという認識を持つようになった時期。

うまくいかせるためにもがいているのに、もがき方を変えてももがくのを一旦止めても好転している現状も気配もなく、なに一つうまくいかなくてやっぱりもがくことを選択するから、ただただもがいているだけの苦しい時間と感覚を募らせていた時期。

自分のやりたいことを持ちながら叶ってない現実の口惜しさに、うまくいかないならもういっそのこと全部やめてやろうかと思うんだけど、やめたところでなんの解決にもならないからやっぱりもがき続けるんだけど、また堂々巡って同じ葛藤を繰り返し続けていた時期。

この劣等感や自己肯定感の低さが、相対的ではなく絶対的なものによって培われてしまっているからこそ根強いなと思うのですが、そういう自分の中の黒い感情や尖りを他人に見せてはいけないという感覚を持ち合わせるとどうなるか。

わたしは一人で泣いていました。学校からの帰り道とか家で一人の時とか布団の中とかで。うっかり人前や周りに誰か居る状況で涙が出てしまっても声を出さずにいられるくらいには独りで。元々涙脆いし泣き虫だったし、泣いて発散してました。

でも『結晶星』を聴いて初めて、そういう苦しくなる感覚を音楽で昇華できることを知ったんです。
KANA-BOONを聴いて初めて、そういう苦しくなる感覚を音楽で昇華するかっこよさを知ったんです。

いつまでも泣いてるんじゃなくて、自分のやりたいことにぶつけて夢を叶えていけるようになりたい、みたいな。

中学生までの自分は習い事でやっていた合唱団を軸に世界が回っていて、
何をするにも合唱団ができるかどうかで選択を決めてきた自分にとって、
おそらく音楽、殊に歌の存在が周りとなんか違う気がしていて。
音楽を純粋に楽しむ時間を、いつしか技術を磨くとか上手い下手で推し量る時間が追い越していったんです。自分でも気付かないうちに。

音楽って、すごい力があるんですね。

なんで合唱団にいながら音楽のすごさをちゃんと理解せずに歌ったり踊ったりしていたんでしょうね。

なんか合唱団で歌うこと踊ることはちゃんとすきだからどんだけ苦しかろうがやっぱりやめらんないなと思ったんですよね。

だからこそ自分の中で”葛藤や苦しい気持ちを『結晶星』を聴いて昇華する”という決まりが生まれて。でもこの決まり、全く苦しくない。むしろ、心地よい。
ちゃんとその葛藤にいつか光が差す気がするし、
ちゃんとその苦しさをバネに前へ踏み出せるし、
ただの言い聞かせの自己肯定の言葉がいつしか心の底からのものに変わるような、今はまだ失望でもいつかは希望がみえるのではないかと思える。

自分の尖った気持ちが、少しづつ星みたいなものに形を変え昇華されていく感覚。

そういう微かな気持ちの積み重ねが”結晶星”だなぁと思いました。

”WALKMANでイヤホンで聴く、KANA-BOON”がすきだった。
ただもう充電した状態じゃないと音楽聴けないようになっちゃたので、イヤホンで使えなければ持ち歩くこともできない。……WALK-MAN?

そこから当時出ていたKANA-BOONのアルバムを買いました。
ミニアルバム『僕がCDを出したら』、1stアルバム『DOPPEL』ですね。

わたしの地元、岐阜県土岐市はタワレコもなければTSUTAYAもない程の田舎で、CDを買うとなったらお隣の多治見市のTSUTAYAまで行っていて、中学生の頃は多治見市に住んでいた祖父母のお家に泊まりに行くタイミングを見計らって、新盤・中古問わずCDを探し出す音楽生活を送っていました。

ほんと田舎で、当時の品揃えとしてシングル売ってなくて、アルバムしかなくて。
次いつ多治見に行けるかわからないからレンタルもできないし、取り寄せのシステムも知らなければ、人見知りで店員さんに話しかけることもできなくて。
(でも、どっちにしろお小遣いも限られているのでアルバムだけで精一杯だった)

アルバムを買ってすぐWALKMANに入れて、歌詞カード見ながら聴いて。
学校にWALKMAN持っていっちゃいけないからそらで歌えるようにして。

音楽雑誌で楽曲やバンドについてのインタビュー記事を読んで。
SCHOOL OF LOCK!の生放送教室にKANA-BOON先生が来校した日ももれなくその放送を聴いて。(ラジオにゲスト出演していた回も聴いてたよってことです)

KANA-BOONの楽曲も、KANA-BOONのメンバーも、すきになりました。
本のむしならぬ、KANA-BOONのむしになりました。

KANA-BOONといえば疾走感あふれるロックナンバーみたいなイメージかもしれませんが、自分は夕方や夜に聴くゆっくりと歩めるような時には寝転がれるようなKANA-BOONの歌が格別にすきです。
もちろんバチバチなロックも言わずもがないいんですけどね!それを前提として!
夜とか、星とか、光とか、眠れぬとか、そういうワードのKANA-BOONがすき。

わたしは各曲に想い出が詰まっていて話すと長くなるので割愛しますが、
いい曲がたくさんあるのでぜひ聴いてください☺︎

その後は3rdシングル『フルドライブ』、2ndアルバム『TIME 』を買いました。

ここら辺から中3になって受験勉強で忙しくなり、合唱団も休団することなく学業と両立して、飛び飛びなんですよね。買う時間も、追う余裕もなくて。
最後は『なんでもねだり』でした。あれはギリギリ着いていけてた。それでギリギリだったから次から着いていけなくなってなってしまった。

それでもKANA-BOONだけじゃないかな…と思ってるんです。
自分のすきを見つけて、貫けたバンド。
ラジオでたくさんのいい曲に出会ってきたけど、自発的に追い続けたバンド。

だって『TIME』でさえ、受験期真っ只中に隙間縫って買いに行きましたもん。

嬉しかったなぁ…『TIME』を手にした時。

YouTubeに『TIME』のダイジェスト映像が上がった時からこれを原動力に色々と頑張っていたんですけど、本物手に入ったら、もうそれこそフルドライブですよ。

いつだってフルドライブできたのはKANA-BOONのおかげ。それは間違いない。

でも高校生になって自分の中のKANA-BOON空白期間が訪れました。

いや、KANA-BOONだけじゃない。この時期は新しい音楽やバンド、なんならSCHOOL OF LOCK!も聴けなくなりました。
高校生になって演劇部に入ったことで、学校と合唱団と演劇部を両立しようとし出すんです。自らの意志で、文武両道・二足の草鞋以上のことをやり始めました。

なんでもねだりな自分への代償みたいなものですかね、大変なことは山ほどあって。
演劇部では先輩のサボりにより部の基盤づくりと独学での演劇・照明の勉強。合唱団では振られるようになった役割仕事や選抜受かるようになってからの自己鍛錬、あと後輩育成も始まりました。
そして学生である以上は学業が土台にあっての部活や合唱団(習い事)ですからね、やりたいことやるために学校の勉強も疎かにしないようにして。

自分で選択したこと、周りから選択無しに与えられたもの。
はじめは全てのトータル出力を100にできるようにしてたはずが、いつしか各出力が100になってたんですよね。割とどれもやってた気がする。真面目に、必死に。

でも、やってた、けど、できてなかったんですよねー。情けないほどに。

演劇部では県大会進めなかったし、引退最後はオペミスで終わったし、
合唱団では重責に押し潰されていたし、役割仕事で自主練の時間は減ったし、
学校生活では成績が下がったし、友達や恋人と謳歌した青春もあんまりないし……

またやってくるんですよ。自分の中にある"劣等星"がかがやきだす時期が。

今でも人生で一番忙しかったのは高2だと思っているんですけど、
演劇部の部長しながら、合唱団の団長して、成績もキープできるようにして。
現状保持と今与えられたことで精一杯。ってかほぼアウト。もはや若干溢れてる。
これ以上新しいなにかを取り入れるキャパはなくて、趣味や娯楽を削ぎ落として、移動時間や睡眠時間も削ぎ落として、演劇か合唱団か勉強の時間に充てる。

新しい音楽は合唱団のものだけで、精一杯。
だからこそ今の自分の中にあるものでいかに存分な楽しみを見出そうかと思って。
中学までにWALKMANに取り込んでいた曲を何度も何度も繰り返し聴きました。

わたしのWALKMAN、ほとんど2015年で時が止まってるんですよね。

だからずっとKANA-BOON、殊に『TIME』や『結晶星』を延々と聴き続けて。

いつしか知ってる楽曲量じゃなくて熱量でもってKANA-BOONがすきとしか言えなくなっちゃいました。
でもすきなんだ、KANA-BOON。頼む、すきだと言わせてくれ。

年始の家族のプチお出かけの温泉にて、自分で買いました。おいし。
大人になってから、世界で一番すきな飲み物がほうじ茶とほうじ茶ラテになりました。最近両親特にお母さんにおすすめしているのですが、実家に帰省すると「ほうじ茶/ほうじ茶ラテあるよ?」と言われるようになりました。

そんな折。父が車を買い替えまして、家族に「車内BGMで流すために取り込んでほしいCDがあれば貸して」と言い出したのでわたしは『TIME』を貸しました。

父と車に乗るのは合唱団の送り迎えの時がほとんどで、これがまた自分の劣等星が一番星かの如くかがやくタイミングで。

自分が選曲していたのか、父が選曲していたのか、わかりません。
でもよく父の運転の助手席で『結晶星』が流れていたことは断片的な記憶として、ずっと頭に残っているんですよね。
その記憶の中では父の顔は出てこなくて、画として夜の真っ暗がりの中に助手席側のフロントガラスかドアガラスから見えるテールランプの赤色が浮かんでいる景色があって、そこに音として『結晶星』が流れてるみたいな感じなんです。

なにを話していたのか、そもそも会話をしていたのか、
一緒に歌っていたのか、そもそも聴いていただけだったのか。もう朧げな記憶。

父は元々バンドをやっていたらしいのですが(ギターかボーカル、らしい)、
よく前奏や間奏のドラムやギター・ベースを口ずさんでいて、歌詞は鼻歌で歌ってました。それは鮮烈な記憶。

大学受験のために合唱団を退団した後も、大学進学のために家を出た後も、
父運転の助手席に座る時間はあって、その時いつも自分の劣等星は光を放って。
その車内にはいつも『結晶星』がかかっている。自分にとって大切な記憶です。

そして今でも父の口ずさむところも、鼻歌のところも、変わっていないんですね。
年末年始の帰省で時間経って変わったことも変わらないこともあるのを認識して、「もういいんだよ、それでいいんだよ」と過去を思い出しておりました。

「未来をどうにか変えていこう」と想いを馳せながらではありますが。

そして久々にたまたま流れてきた『日々』に感動して。また谷口鮪さんの声に惹かれて、冬の夕暮れみたいに澄んだあたたかさのある楽器の音に惹かれて。
冒頭の三叉灯での話なんですけどね。店内BGMで『日々』を知って、あの時とは変わったKANA-BOONと再会して、でも変わらず曲調や歌詞の現実味と泥臭さをまたすきになって。

店内BGMだからちゃんと聴けなかったけど、あの僅かな時間で心鷲掴まれて。
家に帰ってYouTubeで検索してLyric Videoでちゃんと聴いた『日々』

涙が止まらなかった、役者歴2年目の冬のできごとです。

また自分の中のKANA-BOONの時間が動き始めたのかもしれません。

みなさんも是非聴いてみてくださいね☺︎

いいなと思ったら応援しよう!

柴田ののか
いただいたチップは、”9割ぐらいの実体験から生まれた舞台”をコンセプトにした自主制作舞台の制作資金に充てさせていただきます◎お気持ちいただければ幸いです