あいうえおからはじめよう
秋風が心地いいですね。柴田ののかです☺︎
自分の身の周りの素敵な話を柴田にとっておいたのでこれからの記事は役者として出会った人々やご縁と発見、気持ちと想い出、そんな909との時間を綴るnoteにしていきます。
一番最初は誰にしようかなと思ったんですけど、やっぱりここは"カフカさん"かなと。
夏舞台の主役だったというのがあるし、本当にお世話になっているし、なによりこの人については書き残しておきたいことが多すぎる。
ということで、今回はカフカさんこと"小野カフカさん"です☺︎
小野カフカという役者はおもしろい人間である。
これは予め伝えておく。うちのカフカさんはおもしろい。ずーっとおもしろい。もうほんとにおもしろい。
こんなこと言うとカフカさんのことだから
「ちょっと〜!ハードルあげないでよ〜」って言うだろうけどきっと笑って許してくれると思う☺︎
そのくらいカフカさんはやさしくて笑顔に満ち溢れてる。うちのカフカさんは人を笑顔にして和ませる天才なのだ。
うちのといったのは同じ劇団の劇団員さんだからなわけで。
おもしろいと思うのはわたしの知的好奇心をくすぐってきて、一緒にいると心から楽しいと感じるからで。
劇団員さんと客演として出会ったけれど、今となっては劇団員同士。カフカさんの人としての魅力は役者としての魅力に直結しているので書き残しておきたいと思うのも無理はないのです☺︎
夏公演の顔合わせ前。顔も見たことないその役者に名前のセンスからして光るものがあると思った。
顔合わせ日。少し遅れてやってきたその役者に登場のフラットさからして圧倒的主人公感があると思った。
その後も本読み、立ち稽古、稽古場での立ち居振る舞い。なにを見てもその役者にずっと関心を抱いて。
(あ、天才なんだな。この人)
(いや、努力の人だ。積み重ねてきた時間が違う)
(うわ、感覚でここまでのことができるの天才じゃん…)
(え、この人こんなこともできるの?)
(おもしろい人だな、小野さんって)
"一度芝居を諦めた自分にとって敵わない存在"
今も変わらないカフカさんへの印象。
でもなにか興味を持つ度に浮かんでいた気持ちは本人に伝えることなく自分の心の中だけに閉じ込めておいた。
それはわたしがこの夏の舞台でお芝居自体から離れようと考えていて座組や劇団員さんに深入りするのはやめようと思っていたから。
客演というカタチで公演に参加したのもそのためだった。深入りして、情でも移って、また芝居を続けたくなるなんて避けなければと思っていた。
今思えば役者としての心は「一度諦めたから」を理由に全然機能していなかった気がする。恥ずかしながらあの時のわたしは役者を名乗れるような心の持ち主ではなかったのだ。
とてつもなく空っぽな役者。わたしはただの人だった。
でも止められなかった、自分の知的好奇心を。
ただの人でもこの役者への興味関心は抑えられなかった。
この役者の魅力はどこからやってくるのか。
この役者の強みは何でできているのか。
純粋に自分にない良さをたくさん持つこの役者のことを知りたいと思った。
夏公演で掛け合いがほとんどなかったからこそ自分で話す機会をつくり出さないと関わることは難しくて、カフカさんを呑みに誘った。
深入りしないと決めたのに、サシでじっくりと。
役者としての小野カフカを知りたかったはずなのに、気づいたら人の部分に踏み込んでしまっていた。
わたしたちは役者である前に一人の人であって、とても繊細でやさしさと信頼でもって扱わなければならない部分を持っている。その人としての部分にいつのまにか踏み込んでしまっていた。
でもわたしが踏み込んだことに対して寛大な心で許容してくださってたくさん話をしてくださった。
この人はどれほど自分や人と向き合う時間を過ごしてきたのか。
この人はどれだけ高さや数のある壁を乗り越えてきたのか。
この人はどうしてそれを笑顔で語ってくださっているのか。
いち人間としてわたしはその人と真面目に向き合っていた。役を持たぬ生真面目な自分でもって話し込んでいた。
小野カフカという役者はとても興味深い人間性からできている。
それがあの日とカフカさんを表す一言だと思う。話は尽きなくとも話せる限りは尽くした。
でも言葉をたくさん交わしたけれど話しても話しても話し足りない。
あ、これがちゃんと会話をするということだ。
言葉にしないと向き合えないものがある。
言葉にしたから動いたものがある。
言葉を交わさないと知れないものがある。
言葉を交わしたからつくれるものがある。
その日からわたしの中にある役者の心がきちんと稼働し始めたように思う。
人に向き合ってこそ、人間と向き合ってこそ、
役者の自分は心を持ち生命を宿せるのだなと。
そしてカフカさんはそういうことに蓋をせず向き合ってきた人間だからこそ興味深くておもしろく、趣のある人だからこそ味のある役者なんだとわたしは思う。
「あー!そのアプローチ斬新ですね!」
「いやいや、そんなやり方ありです?笑」
「うわ〜、それわたしも思いつきたかった〜」
「え!そんな引き出しも持ってたんですか!?」
「おもしろい人ですよ、カフカさんって!」
興味を持つ度に浮かんでいた気持ちを本人に伝えるようになって、わたしは心を開けるようになった。
言葉とコミュニケーションはカフカさんとわたしだけでなく座組とわたしをつなげて、さらに座組全体に広がっていった。
やっぱりカフカさんは圧倒的主役、座長だった。
いつかカフカさんの芝居を観にきてほしい。
きっとその魅力はどんな役であっても彼の芝居から伝わるものがあると思うから。
夏公演は掛け合い少なかったからなぁ…
次回公演とか今後の稽古でもっと一緒に芝居したいな。
時に人を褒める時はさしそすせと聞いたことがあるけれど、
人に興味を持つ時はあいうえおだと私は感じた。
人に興味をもって関わり、言葉を交わしていく。
そんなことはコミュニケーションの基礎の基礎。
でもそんな当たり前、一番最初さえもできなくなっていた程のわたしの役者としての空白を満たしくれたのはカフカさんなのだ。
役者のいろはを忘れたわたしに新たないろはを教えてくれたのがカフカさんだったのだ。
カフカさんが主役だった夏公演を経て、わたしの新たな役者人生がはじまった。
心を持ってわたしは役者だと名乗れるように、
一度諦めたという壁を乗り越えられるように、
役者として、人として、誇りを持てるように。
物事のはじまりも、物事への興味も忘れないように。
いろはだと少し古風なのでここでは敢えて、
あいうえおと現代風に言い換えたいと思う。
役者としての心機一転。心を動かして。
"さあ、あいうえおからはじめよう。"
こうしてカフカさんのおかげでわたしは役者を続けることにしたし、劇団に入団してTEAM909との時間も動き出した。
役者として出会った人々やほかの909劇団員さんとのお話はまた次の機会です☺︎
まだまだ未熟者で成長過程の役者 柴田ののか
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