走り書き。
走り書き。
これは一応走り書きだ。
これは一応急いで書いた文章なのだ。
”どんなに挫けそうになったってやりたいことをやり続けていきたい”
合唱団がすきだった
でもとにかく才能がなかった
入団したのは小学校1年生
当時で言えば、入団した時期は早い方。同級生の中でも2番目に早い方だ。
それでもとにかく遅れをとっていた
初めてソロで歌えたのは入団して7年目、中学校1年生
初めてミュージカルキャストができたのは入団して10年目、高校1年生
初めて合唱団の組織としての役割をもらえたのは入団して9年目、中学3年生
入団して1~2年目の小学生低学年でソロをした同級生たちがいて、
入団して2~5年目の小学校中学年でキャストをした同級生たちがいて、
入団して5~7年目の小学校高学年・中1で役割をもらえた同級生たちがいる
やはりとにかく遅れをとっていた
練習に費やした時間が長ければ長いほど、
想いを掛けてきた時間が長ければ長いほど、
うまくいかなかったときの惨めな気持ちもまたよく積もるものだ
わたしはとにかく劣等感の塊だった
惨めな時ほど歌で気持ちを昇華した
惨めな時ほど練習に時間を費やした
惨めな時ほどすきなものに没頭した
わたしはとにかくやりたいの気持ちだけでどうにかやっていたのだ
着実に時間を積み上げれば、いつかはやりたいことができるはずだ
地道に努力を重ねていれば、いつでもやりたいことを続けられるはずだ
そうやって信じていた。そうやって、思い込みたかった。
合唱団には憧れと尊敬とすきが詰まっていて、それが総じてやりたいだった
中2、学校で成績にならないのになぜ合唱団をやっているのかと訊かれた
受験の有利にはならない。合唱団での結果も出てない。
ただやりたいから合唱団をやっていた。それ以上でもそれ以下でもない。
ただふと本当にそれでいいのか立ち止まってしまった
いつかきっと。それは問題の先延ばしなのではないか
まだこれから。それは才能のなさから目を背けているのではないか
もしかしたら。それは叶うことのない夢なのではないか
わたしは合唱団から必要とされていない存在なのではなかろうか
わたしは合唱団に居ても居なくても変わらない存在なのではなかろうか
わたしは本当は合唱団にも居場所がないのではなかろうか
いつまでこんなことやっているんだ、こんなことやり続けていいのか……?
中学2年生。人生でこの時期だけ本気で合唱団をやめようかと思った
学校での孤立感、合唱団での劣等感
中学2年生の実生活での居場所を見失っていた時、
心の拠り所はWALKMANとそれで聴ける音楽とラジオだった
見えないし触れられないけど、手のひらサイズからはじまる壮大な居場所だ
イヤホンで殻に籠って、一人きりになれて、すきなものに浸れる世界
外野の声もきこえないし、外からの邪魔も入らないし、自分だけの世界
合唱団の歌とはまた違う、でもそれと同じように、すきが詰まった世界
未来の鍵を握るラジオ、SCHOOL OF LOCK!
初めはFMラジオなんてなんのこっちゃだった
砂嵐から何が起きて人の声に変わったのか謎だった
しかもどこの誰かもわからない人たちの声だった
でも、こんなにわくわくしたのは久しぶりだった
バンドを知って合唱団以外のすきな音楽をみつけた
ラジオを知って合唱団以外のすきなことをみつけた
合唱団は物心ついた時にはすでにやっていたし、当たり前に続ける存在だった。
でも、SCHOOL OF LOCK!はちがう。夢のはじまりを知って、やり続けていきたい熱意を体感したのだ。
閃光ライオット2013。10代限定、青きロックフェス。
強烈な一瞬の光が暴動する、閃光がライオットする。
そこで初めて、わたしは夢に立ち向かう人の一部始終を見届けた
滋賀県、WOMCADOLE
数年掛けてそのステージに立つ夢を叶えたバンド
『黒い街』という心の底から目に光を宿せる歌をつくったバンド
歌だけではなくMCでも想いや言葉を届けたバンド
出演順が張り詰めた空気の最も強いトップバッターだった
バンドメンバーが急遽出演できなくなったアクシデントもあった
どの賞にも選ばれず一番の大きな夢である優勝までは届かなかった
すべて実際に見たわけではない、ラジオの音声で聴いたこと
それでも「自分の夢に立ち向かってください」というボーカルさんのMC
あの想いをもった、あの人が言った、あの言葉が、頭から離れなかった
わたしにとっては他の誰よりWOMCADOLEが一番だった
結果とかどうでもよくて、夢に立ち向かうその過程こそがかっこよくて、
彼らは強烈な一瞬の光を放って、聴いたわたしの心は暴動を起こしていた
その時に思ったのだ
WOMCADOLEでいう閃光ライオットが、自分でいう合唱団のステージだと
それならば
結果とかどうでもよく、とにかくやりたいことに立ち向かっていかなければ
そして立ち向かい続けたその先で
わたしは時間がかかってもやりたいことはやりきって退団した
それが今日日の舞台役者へとカタチを変えて
わたしはまた新たな夢・やりたいことに立ち向かおうとしているのだ
あの時、誰かの夢に立ち向かう姿を一部始終でも見届けることができたのは
今の自分の在り方にとてつもなく大きな影響を残していた
やりたいことはどんなに挫けそうになったってやり続けていきたいものだ
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子どもというのは……なんて大人の上から目線を直さねばと思うほど
子どもも大人と変わらない葛藤を抱いている
上には上がいる
僕は一番にはなれない
あの子には敵いっこない
それでも、子どもたちはがむしゃらにやりたいことにしがみついていた
子どもたちから習い事やすきなこと、将来の夢の話をきくのがすきだった
どんなことをするのか、どんな人がいるのか、どうなりたいのか
嬉しいことがあったらおしゃべりが止まらなくなったり、にこにこだったり
悔しいことがあったら露骨に黙ったり、泣きじゃくったり
そんな子どもたちの様子にいつかの自分を重ね合わせていた
だからやりたいことに立ち向かう子どもたちのことを見守りたいと心の底から強く思った
嬉しい報告はその嬉しい表情を眺めながらじっくり話を聴いて一緒に喜んだ
悔しい報告はその悔しい表情を感じながらそっと隣で一緒に悔しがった
ののコーチはできるだけみんなが悲しい思いをしないといいなと思ってはいるけど、立ち向かうということは必ずしもいいことばかりではないから
ののコーチはきみたちがそのすきだとかやりたいという気持ちを持ちながら、うまくいかなくていやになりそうだとかやめてしまおうかという気持ちの間で葛藤していることを感じていた
きみたちがいつもがんばっていることを知っていた
きみたちがどれだけうまくいかなくてもがんばり続けているところを見てた
だからその日にうまくいかなかったとしても、その次とかうまくいくまでののびしろや努力という部分を見守っていたんだ
うまくいったという結果そのものじゃなく、うまくいくまでの過程、
やりたいことや夢に向かって立ち向かう・立ち向かっていく姿そのもの
それがとてつもなくかっこよくて、強烈な光を放つんだ
やり続けていく・立ち向かっていく過程の中で知ってもらえたら嬉しいんだ
ののコーチはみんなと過ごす日々の中で伝えていきたかったんだ
再び、やりたいこと・夢に立ち向かう人の姿を一部始終でも見守ることができたのはこれからのののコーチの在り方にとてつもなく大きな影響を与えた
ありがとう、みんな。みんなのおかげで思い出したんだ
ののコーチも再びやりたいこと・夢に立ち向かう人になるんだ
今度はののコーチの番なんだ
挫折や適応障害なんて通過点を超えて、また立ち向かうんだ
走り書きだ。
これは一応走り書きだ。
これは歩みの遅い自分の中でも精一杯の着実な早さで書いている文章のためこれでも一応走り書きなのだ。
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