しんあいなる、ぽんこつへ
日々生きてるだけですごい。すごすぎる。
柴田ののかです☺︎
なんか不思議な感じなんですけど、
個人的にポンコツよりぽんこつの方がかわいく感じるんですよね
なんでだろ?
書いてること、おんなじなのに☺︎
今日はそういう感覚的なことを、感覚のままに、綴ってみます
みなさん!自分のぽんこつ、愛せていますか?
「ぽんこつは世界を平和にする!」
それが最近できた柴田の持論です。圧倒的持論!
誰が共感してくれるんだ、この圧倒的持論!
柴田の言っている”ぽんこつ”がなんなのかって言うと、
”自分の意図しないところで起きたヒューマンエラー”のことです◎
「うわ〜… なんでこんなミスしちゃったんだろ……」みたいなやつです
「ドンマイ☆」とか「そんな時もあるよ笑」みたいな声掛けしかできないやつです
ちゃんと大反省するんですけど、その結論が不注意とか原因特定不可とかの類で"意図せずのヒューマンエラー"だから、もう対処の仕様がなくてほんとにやるせなくなっちゃうやつです
そういう”ぽんこつ”、愛せていますか……?
「自分のぽんこつを愛せるようになって世界を平和にするんだ!」
実はこれが今の大きな目標だったりします。ほんとにくだらない小さな夢です☺︎
先日、パスケースを落としました。
つまりは中に入っていたSuicaも一緒に落としたわけですが、わたしはこのSuicaをクレジット一体型にしていたので同時にクレジットカードも落としたんです。
しかも、そのパスケースは何年も使っていたお気に入りでした。
つまりは数年前にだいすきなディズニーで買ったオズワルドのパスケースだったのですが、わたしはもう販売されていないので新しく買い直すこともできません。
しかも、最後に使ったのは落としたと気付いた2.3日前でした。
つまりはSuicaを落としてから数日も気付かずるんるん生活していたわけですが、わたしは家を出発する直前の最終忘れ物確認で気付いて部屋の中を大捜索したのでその日の待ち合わせに大遅刻しました。
大失態。大反省。
ものすごく凹みました。ものすごく引き摺りました。
諦めきれないけど、もうこれは出てこないだろうと悟っています。
でも受け入れたくないんですけどね。できることならめっちゃ悪あがきしたい。
でも受け入れるしかないことも解ってます。なぜなら初めての感覚ではないから。
わたしはこういう結構デカめの落とし物を、二年に一回ぐらいのペースでやるし、大反省をしてもその大反省を忘れた頃にまたやらかすんですよね。
(ちなみに二年前は家の鍵を落としました、未だに見つかっていません)
しかもこういう時ってどれだけ記憶辿ってもどこ探しても出て来ないんですよ。
いつ落としたのかな?
誰かに盗られてしまったかな?
何かと間違えたまま自分で捨ててしまったかな?
そう、まるで「♫なくしもの/高橋優」の歌詞のように。
そう、大概の落とし物を失くし物に生まれ変わらせてきました。
そう、たぶんわたし天才です。
でもこうやって落とし物とか失くし物するんですけど、
ほんとは結構記憶力がいいんです。おそらく人並み以上に。
人の名前や顔を覚えるのが早い方です。ファーストコンタクトを忘れません。
あと過去に起きた出来事も割と忘れません。たまに日付とかまで覚えています。
というか忘れたとしても記憶の断片から大概のことは思い出せてしまうのです。
そんなんだから色んな人から「よくそんなこと覚えてるね」と驚かれます。
それなのに!
自分のこととなると、辿りたい記憶ほど辿れない!
思い出せないし、そもそも記憶されてない!
なぜ自分の意図せぬところで記憶するしないの取捨選択がおこなわれているのに、なぜ自分の取捨選択が自分の役に立っていないのか?
全部自分の中の出来事なんだよな…
自分で起こして、自分で回収して、自分で昇華する。自分の中だけで回っている。
側から見たら(あ、あいつなんか一人でやってんな)的な出来事なわけです。
もしくは「え!そんなことがあったの!?」ともならない人知れず的な出来事。
あ〜、ぽんこつだ〜
これは完全なるヒューマンエラーだ〜
もうなにやってんのよ自分〜
そうやって自己嫌悪や自責の念を感じていると!
どこからともなく!
(なぁ…それって自分のぽんこつ、愛せてんのか?)と問いかけられるんですね。
おい、だれの声だ!
あ、自分の心の声か。そっかそっか。
人間って、完璧じゃないじゃないですか。
どんだけ完璧でありたいと気を付けていても完璧ではない瞬間が訪れるし、
いつも気を付けていられるわけじゃないし、気を抜いていられることも大事だし、完璧ではない時間も訪れるわけなんですよ。
だから”エラーは起きるもの”なんです。
やっぱり”バグだって、ミスだって、起こるもの”なんです。
そうなんです。ほんとは、”人間ってそういうもの”なんです。
人間誰しも、ヒューマンエラーを起こしながら、日々生きていると思うんです。
人間誰しも、ぽんこつなところも、ぽんこつな時間も、持っていると思うんです。
でもわたしは自分のぽんこつな部分が現れた時にそれを隠そうとしちゃうんです。
もっと言えばわたしはそんなぽんこつをなくそうとしながら生きようとしちゃう。
でもね
ヒューマンエラーをなくそうとするということは、
人成らざるモノになろうとしているということなのではないのかな、って。
なんか、自分は人間なのに、ロボットにでもなろうとしているのかしら、って。
人って、そういう人間らしい部分で安心したり愛おしくなったりするはずなのに。
人って、って主語大きくしてしまったけど、なにより自分がそうだと思っている。
ということは
ほんとは「ぽんこつって安心材料や愛情の源なのかもしれない」と思ったんです。
なんとなく、なんですけどね。ほら、圧倒的持論。
誰が共感してくれるんだ、この圧倒的持論。
わたしは自分のぽんこつで自己嫌悪や自責の念を感じるんですけどね、
じゃあおんなじことを誰かがしたらわたしはどうやって感じるんだろうって。
自分に対して感じることとおんなじようにその人に嫌悪や責めの気持ちを抱いて、わたしはその人を攻撃してしまうのだろうかって。不安や不信になるのかなって。
…それはいやだなぁ
そんな世界で生きることも、そんな自分でいることも。
だったら
自分のぽんこつを愛せるようになりたいし愛していきたいし、
そういう欠陥や弱さをいいよいいよって受け入れながら平和に生きていたいなと。
せめて自分の手の届く範囲の世界ぐらいはやさしさで包みこむ世界にしたいなぁ…
できるかなぁ…
武器も使わず、心持ちだけで平和を守る。ヒーロー、みたいなやつ。
ニュータイプすぎるか。
あ、あと、実は柴田、左右盲なんです!
これ、役者仲間うちでも知っている人少ないんですけどね☺︎
サユーモー。初めてその言葉を聴いた時、頭の中でカタカナが踊っていました☺︎
なんでかっていうと、発覚したのが一年前で自分でも知らなかったからなんです!
左右盲。右と左が覚えられない。
覚えられないというか、すぐ忘れるというか、よくわかんなくなる。
ある一定の条件下だと時たま右と左がわからなくなるんです。
一人で何かをする分にはなんの不自由も問題もないのですが、
誰かと左右の説明・指示をしなくてはいけない時に問題が生じます。
だからわたしは人一倍、手振りや身振りを駆使して左右を訊いてしまうし、誰かに左右を伝える時も「あっち・こっち」を多用しがちです。
おそらく人によってはうっとおしく感じると思います。いや、ほんと申し訳ない。
今は自覚があるから左右盲という自分の欠陥に対して凹むことも減ったけど、
自覚がない声優養成所時代なんかはアフレコ前にマイクの立ち位置を指示されて、うまく指示を受け取ることができずに左右を間違えて、講師の先生に怒られたことがばかほどあります。
指示聞いてなかったのか、メモしていなかったのかと怒られる。
指示聞いていたし、聞いた上で認識かメモを間違えて自責とか凹む。
でも左右間違えるなんておばかさんだと思われても仕方ないことだなと思います☺︎
これは誰も悪くないのよ。自分だって左右盲の自覚なかったからね!
そのくらい右と左は誰しも理解できているという共通認識があるからね!
だからこそその当たり前のような、誰も口にしなかった前提条件ひっくり返して、舞台で上手(かみて)と下手(しもて)の概念をつくった人に感謝状を贈りたい。
天才だ!天才的すぎる!
そんなことではしゃいでしまう!
左右盲、これってすっごくぽんこつだなーって思うんです!
自分の持つ最大のヒューマンエラー!かもしれません!
さて、みなさんならそんな右と左がわからなくなるような人が目の前に現れたら、どうやって接しますか?
先日お笑いライブに行ったらしょーもないことで仲良く喧嘩している漫才の中で、「なんで右と左がわからんねん!」ってツッコんでいる漫才師さんを観ました。
でも漫才師さんの言葉に乗せた感情は嘲りでなく、伝わらないもどかしさでした。
そして客席も嘲笑じゃなくて、このぽんこつかわええな〜の笑いでした。
(あ、ぽんこつはかわいがりようなのかもしれない…!)そう思って、
わたしもその漫才を笑いながら観ていました。愛しみと共感の感情を乗せつつね☺︎
また別の日お笑いライブに行って終演後に漫才師さんとお話しさせていただく中で客席のどのあたりに座っていたのかという話で、
「右側にいた?」と言われ、左右盲が発動して咄嗟に「下手側!」と答えたら
「あ、やっぱり舞台の人だ!」と言われました。
「舞台立ってる同士、そっちの方が伝わるかなと思って」と返してしまったけど、
(あ、嘘つくほどのことではなかったやん笑)そう思って、
次にお話しすることがあっておなじような話をしたら嘘をつくのはやめようと思いました。わたしはそれまでに愛嬌を身につけたいと思います☺︎
自分の欠陥や生物的な弱さを、卑屈ではなく、心の奥底から素直に、
そんなんもかわいいやろ?という感情を乗せて笑って話せるような愛嬌を!
「さて、みなさんならそんな右と左がわからなくなるような人が目の前に現れたら、どうやって接しますか?」などときいておきながら、
わたしもぽんこつな自分とどうやって付き合っていくか試行錯誤したり模索したり、誰かの姿から学んでいる真っ最中です!
なんかうまく言えないんだけどさ、
人には弱さがあるんだけど、それを受け入れられない弱さもあるんだからさ、
よわいままで、つよく生きていこうな。自分よ。
よわいままで、つよく。生きるんだぞ、とにかく生きるんだ。
そういう自分がいても笑ってどうにかなるはずだと思うんだよ。
そういう自分もかわいいところあるなって許してあげるんだぞ。
そうやって自分のぽんこつを愛せるようになって世界を平和にするんだ。
なぁ、愛すべきぽんこつよ。
なぁ、愛すべき自分よ。
敬具