下書き。
みんなへ
突然ですがののコーチは9月末でこの学童をやめることになりました
びっくりさせてごめんなさい
実はののコーチは学童のコーチをしながら、舞台でお芝居をする役者さんをしていました
ののコーチは子どもの頃に合唱団にいたおかげで役者さんになりたいっていう夢を持っていたし、すきな先生に憧れて学校の先生になることも夢でした
でもののコーチは心が弱くっていろんな挫折を重ねて適応障害という心の病気になり、どちらの夢も諦めてしまいました
それでもご縁があってこの学童にやってきて、これまたご縁があってみんなに出会って
素直にすきなものをすきだと言って、やりたいことをやり続けられる、
そんなきらきらしたみんなと過ごす中でののコーチは本当に力をもらっていたんだよ
子どものみんなを通して自分の子どもの頃に蓋をしたものと向き合う機会に恵まれて、
どうやって生きてきたか・どうやって生きていきたいか内省しながら自問自答する日々だったんだ
ののコーチは"コーチ"だから"子どもたちに教える人"として学童に居たけれど、
"みんなと一緒に学び合える環境に居たんだ"と身に染みて感じていたよ
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ののコーチが学童コーチをする中で、お手本にしていた学校の先生がいます
(わかりやすくするためにその先生のことを"せんせい"って言うね)
"せんせい"はののコーチの中学の陸上部の副顧問の先生で、会えるのは部活の時間と体育の指導補助の時だけだったんだけど、部活の時間は"せんせい"を一人占めさせてもらってたんだ
(本当は国語科の先生なんだけど授業は教えてもらうことはできなかったし、先生1年生の元気でかわいい先生で体育の授業はほかの子たちが周りにずっといたから、話せるのは部活の時だけ。それでも会えるだけで嬉しかったよ)
ののコーチは陸上部の中でも変わった立ち位置にいて、クラブなしの陸上部の人でした
(平日の部活だけ行って土日のクラブには参加しないってことだよ。学校的にクラブに入るのはほとんど暗黙の了解みたいになってたよ)
そしてののコーチのいた陸上部も変わっていて、クラブの監督が家が近いからという理由で部活の時間まで顔を出す人で、クラブに入っていないののコーチはいつも肩身の狭い思いをしていました
(そこまで言うなら部活やらなきゃいいじゃんって思うかもしれないけど、ののコーチの中学は絶対部活に入らなきゃいけなかったし、合唱団を続けるためには美術部かクラブなしの陸上部のどっちかしかなくて、美術部にはこわい先輩がいたから陸上部にしたんだよ)
クラブの有無だけでなく監督が来ることでののコーチは周りとの熱量の差に心がついていかなくてひとりぼっちになっちゃった
合唱団のことも理解されなくて自分のすきなものやその気持ちを守るために殻に閉じ籠ったし、「周りがわたしを理解してくれないなら、わたしも周りのことなんて理解してやらないからな!」って尖り散らかしてた
(うん、すごく若気の至り、恥ずかしい)
でも運がよかったのは気まずい思いをしていたのはののコーチだけではなくて、顧問の先生たちも同じ思いだったの
そしてもっと運がよかったのはののコーチの尖りがピークだった中学2年生の時に"せんせい"は赴任してきてくれたの
"せんせい"はやさしい先生だった
わたしが部活でひとりぼっちでいるのを感じていつもいつのまにか隣にいてくれた。
二人組つくれって言われて一人でいると当然かの如く二人組になってくれた。
入らなきゃいけないだけで陸上部に入った死ぬ程足の遅いわたしと並んで一緒に走ってくれる人だった。
”せんせい”は理解しようとしてくれる先生だった
わたしが一人でいる理由・独りになる理由を理解しようとしてくれた。
合唱団がすきなわたし・合唱団そのものについて理解しようとしてくれた。
そしてわたしの一人でいた方が気楽・独りだと寂しいというチグハグな性質を理解してくれた。
"せんせい"は見てくれる先生だった
黙っているのに表情や雰囲気を見てよくわたしの心情を察していた。
会える時間は短いのに周りの先生にきいたのかなんなのかよくわたしの学校生活のことを把握していた。そして励ましてくれた。
合唱団での様子を見たことないのに日々の合唱や合唱祭を見てよくわたしの努力を褒めていた。そして応援してくれた。
"せんせい"はわたしのことを見守ってくれる先生だった
見守ってくれて、励ましてくれて、元気をくれる先生だった
だから学校に行きたくないなとか、部活行きたくないなって思っても、
”せんせい”に会って話すために学校に行くことができていたんだよ
それでも”せんせい”は中2の終わりに退職なさったから一緒に居られたのは、たった一年だったんだけどね
それでも”せんせい”から知らぬ間に与えられていたものが大きかったから、その一年は一生ものになったんだよ
だからののコーチは”せんせい”のように見守ることのできる人になれているのかなっていつも考えてながらみんなと過ごしていました
そしてある日一つの答えに辿り着きました
ののコーチは役者さんの夢と先生の夢を持っていたけれど、実際のところ、先生になりたかったのではなく、”せんせい”になりたかったんだということ
学校の先生にはなれなかったけど学童コーチになって、
ののコーチは尊敬していた"せんせいのような人"になることができました
カタチはちがうけどののコーチは"せんせい"になるという夢を叶えることができました
みんなのおかげです
でも役者さんになるという夢はまだ叶えられていません
そしてそれなら夢に立ち向かう人になるために、役者さんの夢に立ち向かえるように、きちんと覚悟を決めて人生の選択をしようと思いました
だからののコーチは9月末でこの学童をやめることにしました
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ののコーチのわがままでやめてしまって本当にごめんなさい
ののコーチは母親でもないし、大人の中でも子どもだから、頼りないコーチだったかもしれない
それでも今のののコーチができる精一杯でみんなと関わって、
ののコーチの子ども頃に”せんせい”にもらったような宝物を、
今度はののコーチからみんなにあげられるように頑張っていました
だから離れ離れでもみんなが幸せでいてくれたら、ののコーチは幸せです
どんなことが起きたって最後には自分にとっての幸せにつながってほしいと願っています
ののコーチは挫けたってもう頑張り続けるよ
お互いの場所で、自分の歩みで、でも一緒に頑張ろうね
今まで本当にありがとう
感謝は伝えきれないほどあるけれど、本当の本当にありがとう
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