拝啓、繊細な君へ
おつかれさまです。
「繊細な心の持ち主」、柴田ののかです☺︎
いや、自分でもね、(どんな挨拶…?)って思ってはいるんですよ…?
でも、やっぱりね、”自分の弱いところ”を端的に表したら一番にくるのは「心」なのかなと思って、そういう書き始めでこれを綴ることにしました。
ここ数年で、ようやく、自分の心との付き合い方がわかってきたというか、繊細な自分とも仲良くなってきたというか、
繊細なわたしが抱えてきた難儀な部分を、ちゃんとは受け入れられなくとも、受け止められるぐらいにはなれたのかなって
だったら、言葉にして吐き出しちゃおう…!って思って
ほんとなら、きっと、早く受け入れちゃえばこっちのものなんだろうけど、そうは言ってもなかなか受け入れられないのが人間の葛藤ですね☺︎
「ナイーブ」とか、「敏感」とか、「感受性豊か」とか、
「真面目」とか、「考えすぎ」とか、「頑張りすぎ」とか、
誰かからもらった「自分の性格を表す一言」が
相手の主観なのか客観的事実なのか、自分の主観との相違はなんなのか、
その事実を受け入れるのか否か、それを受け入れるか否か考えるのはなぜか
長きに亘って熟考し続けている人生を送っていました
小学生のときから割と、”誰よりも”そんな性格だと言われてきました
中学生になったら、”心配になるときもあるけど”に変わり
高校生になったら、”助かるくらいに”に変わりながら
「繊細な心の持ち主」だと言われ続けてきました
でもずっと、(”みんな”そんなものなんじゃないの…?)と思ってた
”みんな”真剣に生きているものだと思っていたし、
”みんな”考えて生きているものだと思っていたし、
”みんな”頑張って生きているものなんじゃないの?って思って
自分の真面目さや繊細さは「自分の特性」とするほどではないのかな…って
そんなことないよーって受け入れずに生きていた学生時代でした
でもほんとはね、心の奥底では気付いてた
「受け流すことはできず、受け入れようとしていない」という心の在り方に
だっていやじゃん
同級生とほぼ同じ時間量を生きていて、
学校生活だってほぼ同じような時間の流れを生きているはずなのに、
”自分は頑張らないと”人並みの生活を送れないなんてさ
”人一倍頭働かせないと”周りの感覚に合わせられないなんてさ
”周りと違って”人との馴染めなさを感じて生きているなんてさ
そんなのいやじゃん、かなしいじゃん
いつも必死だったよ、みんなについていくのに
いつも必死だったよ、自分を保つのに
いつも必死だったよ、居場所を見出すのに
今、思えば、
適応障害になる前から割と、「いつか精神病みそう…」って言われてたな
適応障害になった後も割と、「たしかに(適応障害)やってそう…」って
適応障害の療養中はよく覚えていないけど……
そのくらい「生きづらそう」みたいな言葉をもらってきていました
高校を卒業したら、地元の岐阜を離れて、東京へ上京して、
大学生になって、学生寮で暮らすようになって、
養成所に通うようになって、バイトをするようになって、
”色んな人”と出会った
人数の面でも、性格や年齢の面でも、人間性の面でも、ほんとに”色んな人”
”色んな環境”に身を置いた
物理的にも、自然や社会的にも、精神的にも、ほんとに”色んな環境”
関わる人が増えれば増えるほど、その人の分析や分類が進めば進むほど、
自分の性質と体質の知識が増え、自分の特性の理解が進む
そしてやっぱり気付いてしまいました
(やっぱり自分は人よりも繊細にできているんだなぁ…)ということ
なんでみんなそんな考えなくても感覚的にうまくやれるの?って思ったし、
なんでみんなそんな周囲に振り回されずにやっていけるの?って思ったし、
なんでみんなそんな頑張ろうって気負わずに生きていけるの?って思ってた
それはとても単純な事実、
自分の感情なんて一切関係なく、紛れもない客観的な事実
わたしの心は「敏感で影響を受けやすく、傷つきやすくて脆かった」
羨ましかったなぁ…みんなみたいに、生きてみたかった
でもできなかったなぁ…生まれつきの心の構造的に、できなかった
うまくいかなかったなぁ…周りの真似をしたのに、同じようにいかなかった
だからこそ辿り着いた心の境地は
「ここまできたら受け止めるしかないか、受け入れられやしないけど」
ほんとはかなしかったよ
馴染もうともせず孤立した中学時代
馴染もうとして孤独を抱えた高校時代
馴染んでいると見せかけて一人を選んでいた大学時代
ずっとかなしかったよ
いろんな生き方を試したのに、受け止めるしか・割り切るしかなかったこと
いや、試したからこそか、かなしかったのは
自分の心の動きを屁理屈と結論付けて、心の声に寄り添うのを放棄して、
「自分の弱さを受け入れろ、わたしはどうしようもなく弱い人間なんだ」と自らの手で自らの心に無慈悲さを喰らわせにいったのだから
でも、岐阜から東京にでてきたから受け止められたのかな
五感が敏感で、環境に慣れるのに時間がかかって、人込みは疲れやすくて、
周りの人に影響受けやすくて、自分と周囲の境界線が曖昧になりやすくて、
誰かの感情が自分の中に流れてきて、時折自分の感情がわからなくなって、
岐阜でなんとなくそう思っていたことが、
東京でより濃い感覚を知ったらなんとなくは確信に変わって
本当なら、自分のことをちゃんと知れてよかった、になるのかな
自分がそれだけでは満足できず、単によかったで終えられなかったのは、
きっと芝居や表現の世界に行くために上京したからなんだろうな…
そうじゃなかったら、日常生活をどう生きるのかという悩みだけを持って、
身の丈に合わせてもう少し負担軽く生きる選択をとっていたんじゃないかな
今となっては腹も括ったし覚悟も決めたけど、
日常生活に加え、厳しいといわれる役者の世界でどうやって生き抜くのか、二重に悩みをもって倍の負担をかけて生きるという選択をとること
一つでも大変なのに二つも抱えるって、やっぱり身の丈にはあっていない
自分のやりたいことをして生きるためには、より一層磨きをかけて、
真面目に、考えて、頑張って、生きていくほかないんだなって悟りました
合唱団のときは「ステージや表現の世界があっている」と言われてました
演劇部にいるときは「ののかが居ると安心するわ」と言われてました
でも
役者になりたいと言ったときは「芸能の世界なんて心配」と言われてました
養成所に通っていたときは「役者向いてないよ」と言われてました
でも、安心してほしい
自分も同じことを思っていたし、理解した上で、役者を志していたんだよ
繊細な自分は日常どこにいても人の目を気にして自分らしさを見失うのに、
ステージや舞台上にいるときの方が自分の輪郭を表していられたもんだから表現の世界が自分に合っていることはほかの誰よりも自分がよくわかってた
岐阜にいるときには合唱団で物心つく前からステージにあがっていて、
高校生から演劇で舞台に場が変わったところで大差なかった
五感の敏感さや境界線の曖昧さを逆手にとって
「鋭感さで音や照明を味方につけ、親和性で舞台や客席を巻き込んでいく」
自分の繊細さも表現の世界では頭を使えばどうにかなるものだということは肌感覚として刷り込まれていって、安定感と場数は周りと大きく差を開いた
でも、東京にきてからの表現の世界は真新しくてほとんどリセットされて、
大学生から芝居で養成所に場が変わると周りと差がなくなった
傷つきやすくて脆かった繊細な心はどこまでもいっても繊細なままで
「感受性で過度に緊張して、過負荷で身も心も思い通りに動かなくなる」
自分の繊細さは役者の世界ではやっぱりどうにもならないものであることは心に傷を残すほどに刻まれていって、周りから大きく差を開かれた
表現をする・舞台に立つ以前に通らなければならない競争の世界があって、たとえそれがどれだけ自分の身の丈には合っていない環境だったとしても、自分のやりたいことをして生きるためには無理をして生きていくほかない
わたしはそこで間違っちゃって
弱い人間だから強がっちゃって
役者を志す中で繊細な心に蓋をした
ひた隠しにして仕舞い込んだ
日常生活から役者みたいにお芝居をしていた
弱いところなんてないですよーって
弱さがあったって一人でも平気なくらいには強いんですよーって
自分らしさを失う芝居を身に着け、自分のカタチを壊す生き方を身に着けた
だから、心を壊して、適応障害になった
結局、役者になることも、表現をすることも、諦めざるをえなかった
わたしは、人として、生きることさえも、分からなくなってしまった
適応障害の療養中は
「役者とか関係なく生きるの向いてない」と思いました
でも
寛解後、そして寛解から数年経った今はというと
「人とか役者とか、合ってるとか向いてるとか関係なく、
ただただ繊細なわたしはただただ繊細なまま生きていこう」と思いました
動けなくなるまで落ち切ったのに再び戻ってこられたからかもしれません
でも次おんなじことをしたらもう二度と戻ってこられない気がしています
繊細なわたしの、その心の、正直な気持ちが、そう言っています
でも安心してね、
時間が解決してくれるものもある、渦中を離れると楽になれることもある
あの時受け入れられなかった言葉たちを今はちゃんと受け入れられているよ
言葉を信じたとかいう大袈裟な話じゃなく、
気付いたらいつのまにか腹に落ちていたような慎ましいとある日の話
役者を目指すことを休んだ時間
役者を目指すことを辞めた時間
役者や舞台から離れていた時間
役者になると決めるまでの時間
繊細な自分なんかが役者になってもいいんだろうか・なれるんだろうかって随分長いこと考えてきたんだけど
実はね、適応障害の前と後を比べると、できなくなったことが増えたんだ
心がね、自分を守るために、時折身体に防衛反応を起こすことがあってね
前とおんなじことしようとすると危険信号を出すためにバグを起こすんだ
前と同じ、もしくはこれ以上は、もう元には戻れないぞっていう警告の合図
だからさ、今のわたし、
「適応障害寛解後のより繊細になった新たな自分」で生きることにしたの
もう前には戻れないなら、新たな自分で生きるしかないし、
ってか、そういう風に生きてきゃいいじゃーん!って吹っ切れちゃったの
ほんとの意味で、あー、自分を知れてよかった、ってなったんだ
苦しかった日々・掛け続けた迷惑も心配もあったから
あれをいい経験だったとは命の終わりが来るまで言わない
自分の弱さとたたかい続けるし寄り添っていく
今後の人生でもその繊細な心の付き合い方を試行錯誤し続ける
もう同じ轍は踏まない
それでいいと思ったんだ、それがいいと思ったんだ。
あ、そうそう。
それとね、真面目に、考えて、生き続けていたらね、
役者としての本質をちゃんと見つけ出すことができたんだ
それでねそれでね、頑張って、生き続けていたらね、
人としての自分のカタチや自分の居場所だって見つけ出すことができたんだ
(この長文でやっと喜んでもらえる報告ができた、ごめん長すぎた)
やっぱり、わたしたちは、なにがあったって、一人の人だから
役者である前に人だから
心があって、感情があって、想いがある
生きてきた時間があって、生きている時間があって、生きていく時間がある
そしてその先にも、なにをしたって、一人の人間だから
役者である前に人間だから
ひとりがあって、独りがあって、一人がある
誰かはいて、誰かといて、誰かがいる
役者は自分の心身で表現をするんだから、誰かとともに表現をするんだから
役者は芝居をする人として、
心・感情・想いの中に役者の本質を生み出し、
生きてきた時間・生きている時間・生きていく時間の中で役者の本質を育む
役者は芝居をする人間として、
ひとり・独り・一人でいる時に役者の本質を養い、
誰かはいる・誰かといる・誰かがいる時に役者の本質を培う
自分に役者の世界が合ってないと言ってくれた人の言葉も
たしかに一つの答えだけど
今まで自分に表現の世界が合っていると言ってくれた人の言葉も
今までの経験をもとに表現の世界が合っていると感じた自分の感覚も
やっぱりそれも一つの答えだから
自分の受け取ることのできる答えを受け止めればいい
信じるとか受け入れるとかいう大袈裟なものでなくていいから
気付いたらいつのまにか手にもっていたみたいな慎ましやかなものでいい
わたしはそれでいいし、わたしはそれがいい。
わたしは繊細な心の持ち主故、
自分の心のペースでないと役者を続けられないという事実を受け入れつつ、
それでもそのおかけで作品や役をじっくり自分に根付かせられる幸せを抱きしめて役者をしていこうと思います。
案外悪くないですよ、「繊細な心の持ち主」☺︎
「そうやって思ってもらえるようなこんな自分」でもいいのかもなって
そしたら自分が舞台に立ち続けることで、それを文字で残しておくことで、
人としてそうやって思ってもらえるでしょう、きっと。
やっぱり、ほんとは早く受け入れちゃえばこっちのものなんだと思います。
でも、そうは言ってもなかなか受け入れられないのが人間の葛藤です。
でもそんな人間味、嫌いじゃないです。
むしろそんな人間らしさが愛おしいです。愛おしくてたまらないです。
こんな繊細で難儀な自分だけど、これからも末永く一緒にいるのだから、
仲良くしていけると嬉しいです。仲良くしていきましょう。
これからもよろしく☺︎
敬具
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