株式会社テレビジョン放送(第21回坊っちゃん文学賞落選作)

 夕食後、テレビを眺めていると画面に突然妻が現れた。

 スマホの動画でも流しているのか、とおれが後ろを振り返ると、彼女は「うふふ」と嬉しそうに肩を揺らした。

「本番は明日よ」

 ふたたび画面を見た。テレビの中の妻が、「がんばります」と意気込んでいる。

おれは「なんだってまた」と苦笑した。

「ずいぶん急だな。聞いてないぞ」

「それがね、偶然なの。はす向かいのAさんいるでしょ。Aさんの知り合いの、そのまた知り合いの伝手でね……」

 妻が台拭きでテーブルを拭いていく。彼女の爪先は、すでに綺麗な桜色に彩られていた。おれは生唾を呑んだ。

「そりゃ、別に構わないけど。でも」

「あなたはいつも通りでいいの。なにか問題ある?」

 妻の目つきが鋭くなる。あと一歩踏み込めば、確実に不機嫌になるだろう。おれは文句と一緒に、発泡酒を流し込んだ。

 仕方がないのでテレビに集中する。妻の笑顔、インタビュアの深い頷き。どれも胡散臭い。「それでは明日。お会いしましょう」という〆の言葉で放送が終わった。

「さ、寝ましょう。明日に備えなきゃ」

 妻が楽しそうにリビングを出て行く。おれは黙って彼女のあとに続いた。

 寝室でも妻の興奮は冷めなかった。暗闇に向かって、ああでもないこうでもないと話している。一生しゃべっているのではないかという勢いだ。

 目立つことが苦手なおれが、なぜ目立ちたがり屋の妻と結婚してしまったのか。我が家の永遠のテーマである。神さま、仏さま。いらっしゃるのならば、ぜひ明日はないものとしていただいきたい。アーメン。

 などと祈っているうちに夜が明けた。おれはいつも通りの朝を迎えた。妻はすでに台所にいる。彼女の鼻歌をBGMに、おれは寝室で着替えを済ませた。

「じゃあ、行ってくる」

「はァい」

 日曜の朝は必ず散歩に出かける。ルートはこうだ。駅前を通り、公園を一周して折り返し。ふたたび駅前、そして家に帰る。三十分ほどのコースだ。

 駅前を歩いていると、サイレンが聞こえてきた。パトカー二台、その次に救急車が通りすぎた。

 どこかで事故があったのか、とおれは気になった。パトカーが先の方で停まった。近づいてみると、車二台が破損した状態で路肩に停車していた。

「あーあ、困るンだよ。日曜の朝から」

 警官ふたりがパトカーから降りてきた。

嫌味を言われたアニメキャラが「スミマセン」と甲高い声で謝っている。おれは彼女を、深夜番組で見たことがあった。警察官に詰め寄られ、彼女は大きな瞳から涙を一粒ぽろりと落とした。

「泣かれてもねぇ。で、どっちがぶつけたの」

「ボクです」

 若い男が手を挙げた。彼の顔周りには、キラキラとしたフィルターがかかっていた。等身も引き延ばされたかのように長い。

 警察官が免許証で身元を確認して、「ハア。おたく、アイドルなの」とメモを取っている。

 おれは彼らの横を通りすぎた。公園を一周し、駅前に戻ってきたときには、事故処理は終わっていた。

 散歩から帰ると、家が豪邸になっていた。嫌な予感がする。玄関のドアを開けると、「おかえりなさい」と元気な声で出迎えられた。

 お宅訪問番組でよく見るタレントが、玄関先で待ち構えていた。彼の横にはカメラマンが、その奥には現場スタッフの姿も見える。

「お散歩からのご帰宅ですね。いかがでしたか」

「いえ、とくには」

「さあ、御主人が帰ってきました。御主人、地下にある車、紹介してくださいよ。僕、来たときから気になってたんです」

 タレントが目を輝かせ、白い歯を見せてくる。おれは、「どうぞ」と彼の横を通り過ぎた。

 こんなものはすぐ終わる。大丈夫。と、己に言い聞かせるように地下へ降りた。緊張から汗が吹き出ている。

 地下駐車場には、車が数台停まっていた。タレントが「これはなんて車ですか」と尋ねてきた。おれはしどろもどろになりながら必死に説明した。これは去年買った最新型、あれは一昨年に知人から譲り受けた、向こうにあるのは親からの贈り物。

 話しているうちに調子が出てきた。おれは一台の車に近づき、「乗ってみせましょう」とドアを開けようとした。そこで気がついた。この車、ハリボテだ。ダンボールにそれらしく絵が描いてあるだけだ。他の車も見てみたが、すべて同じように作りモノだった。本物の車は一台もない。

「大丈夫ですよ。あとで修正しますんで」

 タレントに耳打ちされて、おれは顔が熱くなった。小さく頷くと、タレントは「次は御主人がコレクションしてるワインを見せてもらいましょう」とカメラに合図した。

 地下からリビングに戻ると、子犬が駆け寄ってきた。白い子犬はしっぽを振りながら「わん」と鳴いた。

「かわいいですねぇ。何歳ですか」

「アー、ええ、たぶん一歳」

 子犬がスタッフにちょっかいをかけると笑いが起こった。そのとき、妻に「あなた」と呼ばれた。おれは台所へ向かった。

 台所も様変わりしていた。アイランド型のキッチンに、見たこともない調理器具。両開きの巨大な冷蔵庫まである。

 妻は、家政婦と一緒に料理をしているところだった。

「夕食はあなたの好きなビーフシチューよ」

 妻の容姿は女優のように変貌していた。真っ白なエプロンの上からでも、スタイルの良さがわかる。爪はさらに派手になっていた。

 食器棚に映ったおれの顔も、渋いおっさんになっていて、思わず笑いそうになった。

「御主人おすすめのワイン、教えてくださいよ」

 タレントがいつのまにか横に立っていた。おれは「ええ」と頷いて、ワインセラーを開けた。

 ところが中には料理酒、ミネラルウォーター、発泡酒しか入っていなかった。いつもウチの台所にあるものだ。おれは冷や汗が吹き出た。

「あ、あの、あれだ。ワイン、切らしてました」

「それは残念ですね」

 そこでスタッフが「カット」と叫んだ。カメラが止まり、スタッフがバタバタと動き出す。

 一時間ほど休憩だと説明を受けた。せっかくなので、おれと妻は屋上へ出ることにした。

 外は青空が広がっていた。スタッフが近寄ってきて、「お弁当ありますので、よければどうぞ」と言った。

 屋上の隅に簡易テーブルがあり、そこに弁当とお茶が用意されていた。妻は嬉しそうに弁当を選んだが、おれは食欲がなかった。

 反対側の隅にタレントがいた。彼は煙草を口に咥えて、おれたちに気がつくとぺこりと頭を下げた。先ほどまでの愛想はない。どうやらあれが素のようだ。あっちの方がおれは好感が持てた。しかし、妻は「カメラの外だと無愛想ね」と文句をつけた。

「お弁当、豪華ねぇ。ここの高いんじゃないの」

「どうだろうね」

「うまくできた?」

 おれは首を捻って曖昧に笑った。今の顔ならば、こんな反応も絵になるだろう。

 妻は満足そうに微笑んだ。彼女の背後で、白黒のヒーローが猛スピードで空を飛んでいくのが見えた。青空にはくっきりと通った跡が残っている。久々の出番で、遅刻しそうなのかもしれない。

 休憩が終わり、ふたたび室内へ戻った。スタッフが「本番行きまァす」と大声で宣言した。

 タレントが気合いを入れるように両頬を叩いている。おれはスーツの襟を正した。

「五秒前、四、三、二……」

 スタッフの指が折れて、カメラの赤いランプが点灯した。タレントが笑顔で、「さあ、では次はお庭を見せていただきましょう」と言った。

 おれとタレントで庭に出た。子犬がボールを咥えて遊ぼうと誘ってきた。可愛いヤツめ。

 夕飯の時間まで、おれは子犬と遊んだ。「できたわよ」と妻に声をかけられリビングに戻ると、大理石のテーブルに豪華なディナーが並んでいた。

 スタッフの感心した声に、タレントのオーバーなリアクション。おれはスプーンを手に取って、ビーフシチューをひとくち食べた。

「今日はありがとうございました。次回の放送は、深夜三時です。お見逃しなく」

 タレントが〆の言葉を唱えた瞬間、「カーット!」と大きな声が響いた。

スタッフが口々に「お疲れさまでした」と言い、慌ただしく動き回る。家政婦役はエプロンを脱ぎ、ワインセラーが外に運び出された。子犬も連れて行かれそうになるので、おれは思わず「あ」と制止した。

「ソイツ、連れてっちゃいますか」

「は?」

 女性スタッフが迷惑そうに振り返る。おれは「いや、ウチで飼おうかな、なんて」とまごまごつぶやいた。彼女は鼻から息をもらした。

「みなさんそうおっしゃいますけどね。この子、広い庭がないと無理なんです。それにこのあと、動物番組に出演するんで」

 誰かが「オイ、早くしろ」と怒鳴った。スタッフが子犬を連れて行く。きゃん、と悲壮な鳴き声が聞こえてきて、少し悲しくなった。

 セットが回収され、スタッフが撤退するとすっかり元通りになった。いつもの賃貸アパートが帰ってきたのだ。妻は溜め息をついて、ふりふりのエプロンを脱いだ。

「連続ドラマでもよかったのに。もっと出たかったわ」

「まあ、いいじゃないか。十分、楽しんだろ」

 彼女の容姿も元通りになって、おれはホッとした。小さな台所から発泡酒を持ってきた。

 テーブルには白米とサンマ、それに味噌汁が並んでいる。どうやら豪華な料理も回収されたようだ。

「徹底してんなァ」

 妻は無言でテレビをつけた。嵐が過ぎ去ったことで、おれは上機嫌だった。

 プルトップを開けると発泡酒がこぼれそうになる。「お、とと」と口をすぼませて泡をすすった。

 テレビでは今朝の事故について放送されていた。おれはサンマの身をほぐしながら「これ、朝見かけたよ」と妻に話を振った。

 ニュースキャスターが〝人気キャラクターの不祥事〟と表現している。すると、妻の目に輝きが戻った。おれはサンマの骨が喉に引っかかる感触がした。

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