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父へ贈る最初で最後のラブレター

これからお話しするのは、父へ「ラブレターのような本」を書くきっかけになったできごとです。

健康が取り柄だった私も、気づけば50代。老眼が始まったり、物忘れがひどくなったり、健康診断でドキッとすることが起こったり。

私がこんな調子なので、80代の親はもっと深刻です。まだまだ元気だと思っていても、突然何が起こるかわかりません。

命には限りがあります。

だからこそ、後悔する前に大切な人への想いを「文字」にして伝えたいと思うのです。

この想いの始まりは、思いがけない父の一言でした。


1年ぶりに会った父

「どなたさんですか?」

83歳、認知症が進んだ父は、1年ぶりに会った私が自分の娘だとわからなかった。覚悟はしていたが、鼻の奥がツーンとする。

父の記憶にある私は、もう少し若いのだろうか。50代、白髪交じりの女は、見知らぬ人に思えたようだ。

かつては記憶力が自慢の父だったが、いつしか街中で人に会っても、誰だかわからないことが多くなっていた。親し気に話されても、他人にしか思えない。プライドの高い父は、それが許せなかったのだろう。だんだんと、外に出るのを嫌がるようになってしまった。

これが却って、認知症を進行させたのかもしれない。

そんな父を姉は、休日ごとに方々に連れて行っている。行った先では喜ぶ父だが、帰るとすっかり忘れてしまう。

「どこにも連れて行ってくれない」
姉が気の毒になるくらい、ぼやきが続く。
「よう言いなるわぁ」
姉がお手上げだと叫んでも、証拠の写真を見せても「嘘」にしか思えないようだった。

こんな調子だから、久しぶりに会った私のことがわからなかったとしても無理はない。とはいえ、自分の親に他人のように扱われるのは正直、堪えた。

あえて平静を装い、明るく言ってみる。
「あなたの最愛の娘、和だよ」

「わ さん?」
意外にも、父は名前に引っかかるところがあったのか、じっくりと私の顔を見た。

記憶をつなぎとめたもの


私の名前は、「和」と書いて「のどか」と読む。父がこだわってつけてくれた名前だ。もっとも漢字を見ただけでは男にも女にも思え、度々、性別を間違えられた。

2、3歳の頃、絵で賞をもらったとき「かず君」と君づけで紹介された。内気だった私は、恥ずかしくて顔を真っ赤にして立ち上がれなかったのを覚えている。

大学生のとき、献血し「女」に丸をつけたのだが、その度に「男」と訂正された。この頃には、ネタにして笑い飛ばす図太さを身につけていたが、この名前はちょっとやっかいだった。

私の人生において、どちらかというと「負の歴史」を伴う名前。だがこれは、父が考えに考えてつけてくれたものでもあった。

「『わ』さん? 俺の娘だ」
父は驚いたように呟いた後、記憶を辿るように天井の一点を見つめこう続けた。

「人の世は、何はなくとも君の名の『和』のある人こそ尊けれ」

ちょっとかすれた声だったが、しっかりとした口調。その姿には、かつての威厳に満ちた父の面影が感じられた。

「いい名前だろう」

得意そうに言った後、私を見る目は優しさ溢れていた。こだわってつけてくれた名前が、かすかな記憶を繋ぎ止めてくれたらしい。

私は思わず、込み上げてくる感情で涙が溢れそうになる。それでも、胸の疼きを笑顔に変えて答えた。

「いい名前だね」

とどめておきたい記憶


一度、記憶がつながるとしばらくは、普通に話しができた。けれど少し経つと「どなたさんですか?」からやり直さなければならなかった。

もしかしたら近い将来、名前を言っても思い出してもらえない日がくるかもしれない。想像しただけで切なかった。

この瞬間を、永遠にとどめておく方法はないだろうか?

そういえば、父は祖父の「戦争体験記」を小冊子にまとめたことがあった。私も父のように、父のことを文章にして形に残してみたい。

けれどいざ書こうとして、すぐに行き詰った。

かつては記憶力に自信があった父だが、いまでは記憶は空白だらけ。その上、近くに住んでいないので、話を聞き出す機会さえない。

もっと早く行動を起こしておけば、遠距離でもメールのやり取りができたかもしれなかったが、今となっては難しい。私は、大きくため息をつくしかなかった。

父が祖父にしたように、私も父のことを本にしたかったけれど遅すぎたようだ。

自分の中に父を探す


そんなある日、SNSで父との思い出を投稿してみた。1つ2つと繰り返すうちに、思い出が少しずつよみがえってくる。

父と食べた心太
親子で書いた合格体験記
なかなか褒めてくれなかった父
司会するようになって喜んでくれた優しい笑顔
私の結婚を万歳三唱しそうなほど喜んでくれたこと。

私の中に、父を探すのは難しくなかった。私を通してなら、父のことを書けるかもしれない。一筋の光が見えた気がした。

ようし、次の父の誕生日に「本」を贈ろう。私の心は決まった。

季節は、灼熱の太陽が照りつける「夏」から、さわやかな「秋」に移り変わろうとしていた。秋は、実りの季節。執筆するのにふさわしく思えた。

だが私は、肝心なことを忘れていた。

私の司会業の大半は、ブライダル。一年を通して、一番結婚式が多いのがこの季節だ。しかも、今年は例年以上に本番を抱えている。嬉しい悲鳴だが、執筆どころではない。

気持ちとは裏腹に、1文字も書けないまま秋が終わっていた。気づけば、街にはクリスマスツリーとイルミネーションに溢れている。

今から始めて、父の誕生日に間に合うのだろうか。過去の経験から考えても、ギリギリのタイミングだ。だがやってみる価値はある。コツコツ進めるより、短期集中型の私。ここは、持ち前の集中力を発揮しなくては。

前回、父の誕生日には「お酒」を贈った。けれど今回84歳の誕生日は、世界に1つだけのプレゼントを贈ろう。

私の中にいる「父」について書いた本。父に贈る、最初で恐らく最後の「ラブレターのような本」を書こうと思う。

今、とどめておきたい言葉
今、残しておきたい記憶
今、大切な人に届けたい想いがある。

言葉を紡ごう。思わず微笑んでしまうような、切なくて涙が溢れてしまうようなこの愛おしいこの瞬間を、永遠に抱きしめていられるように。

とどめておきたい記憶と想いに「言葉」という形を与えよう。儚い命の輝きが色褪せないうちに。       
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