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【重症仮死】産まれた子どもが死にかけてた。【胎便吸引症候群】

2023年春、私は待望の第一子を出産した。
出産時の出来事は今でも鮮明に覚えている。
それはタイトルの通り、子どもが産まれても産声すら上げず、それどころか死にかけていたからだ。

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私と子は、毎月の妊婦健診において全く問題はなく、とても順調に妊娠生活を過ごしていた。
とはいえ、何が起きるか分からないのが妊娠出産というもの。

いつだったか、妊娠中、夫と一緒にスーパーに買い物に行く途中にこんな話をしたことがある。

「妊娠中、どれだけ子どもが元気でも、臍の緒が絡まって死んじゃう時があるんだって。」

この時は、そんな間抜けな子どもいるのかよー、あはは、なんて笑いあっていたのを覚えている。


まさかこれがフラグになるなんて、一体誰が想像できただろうか。 

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某日。
私は深夜0時に陣痛を迎え、予定日より2週間早く出産することになった。
無痛分娩の予定だったが、麻酔科医が居ない夜中に産気づいたがために、普通分娩に。

4時間もの間、死にたくなるような激痛に耐えた。そしてやっと産まれた我が子。


ああ、お腹の子とやっと会えるんだ!
どんな産声が聴こえるかな?


ドラマで何度も見たような、赤ちゃんが産声をあげるシーンが脳裏に浮かび、感動と期待が瞬時に最高潮に達した。


…しかし、赤ちゃんの声は何も聞こえてこなかった。

 
(あれ?思ってたのと違う。出産ってこんなもの?)

私がぽかんとしていた一瞬の隙に、赤ちゃんは分娩台から少し離れた台に置かれ、助産師や看護師、医師に囲まれて何かをされていた。
(きっと身体を拭いたり状態確認をしているんだろうな、もうすぐしたら赤ちゃんは外界に出てきたことに気づいて産声をあげるだろう…。)
全身の痛みと2Lの出血で満身創痍となり、思考もままならない状態だった私は、分娩台の上で呑気に構えていた。


しかし、いくら待っても産声は聞こえてこない。

それどころか、何やら赤ちゃんを囲むスタッフ達から緊張感が漂い始めた。
スタッフ達は赤子の身体を懸命にさすったり、なんらかの処置をしながらひたすら会話をしている。
赤ちゃんのいる台は分娩台から少し離れているため、どんな処置をしたり皆が何を話しているのかは見聞きできなかったが、切羽詰まったような、忙しない空気がひしひしと伝わってきた。

そして5分、10分、20分…どんどん時間は経っても一向に産声は上がらない。
その間、分娩室にどんどん新たな看護師や医師が入ってくる。
ここまでくると私も、何か大変なことが起きていると気付く。


(もしかして、私の赤ちゃん、死んじゃうの?)




そう思った瞬間、妊娠中の思い出が走馬灯のように脳内を駆け巡った。

夫と2人で「こんな風に育ってほしいね」と話した日々。 
家族に妊娠を祝福された日々。
ベビーグッズを買い集めた日々。
街中ですれ違う赤ちゃんを眺めては「もうすぐ自分の子にも会えるんだ」と期待に胸を膨らませた日々。 
お腹の中にいる我が子に「大好きだよ、来てくれてありがとう」と話しかけた日々。

これらの日々が、全部白紙になってしまう。
なかったことになってしまう。

そして、私の住んでいるマンションは全部屋3LDKということもあり、子持ちの家庭しか住んでいない。
そんなマンションに、独りで帰らなくてはならないのか?
自分の子どもが死んだ後に、他の家の子供たちとすれ違う日々を送ることになるのか?

そんな考えが波のように押し寄せてきた瞬間が、29年という人生の中で最も恐ろしかった。
文字通り、生きた心地がしなかった。


どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ひたすら恐怖を感じながら、早く産声をあげてほしい、元気になって欲しいと祈り続けるも、その祈りは届かず。

出産後30分経過。分娩台で放置されていた私に、赤ちゃんの蘇生処置をしていた看護師の1人が話しかけてくれた。

「赤ちゃん、呼吸がとても弱い状態です。お腹の中にいる間に胎便を吸い込んでしまって、その影響で羊水が吐き出せなくて呼吸ができません。肌の色も体半分くらい変色しています。これから救急車で近くの大学病院に運んで、そこで蘇生処置を行います。」

その言葉を脳内で咀嚼する暇もなく、その後すぐに救急車が来て、我が子は別の病院へ移送された。
産まれた我が子の姿を見れたのは、分娩室を出る前の、ほんの数秒だけだった。

この数秒がどうか最期にならないよう、ただただ祈ることしかできなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー我が子が救急車で移送されてから、経過の連絡が来るまでは約3時間かかった。
私はその間、産院のベッドで放心状態だった。産後の興奮と全身の激痛、そして我が子の安否が気がかりで、全く眠ることができなかった。


そして出産から3時間後、医師が私の個室を訪れ、経過を説明してくれた。 



 「赤ちゃん、無事回復しましたよ。今はNICUで過ごしてます。」


この第一報でどれだけ救われたことか!
本当に本当に本当に、生きててくれてよかった!  


続いて、我が子の状況について話してくれた。
我が子が死にかけていた原因は、【胎便吸引症候群】というものだった。

これは、お腹の中にいる赤ちゃんが胎便(うんち)を飲んでしまい、その胎便が肺に入ってしまったことで、本来産まれたら肺から羊水が排出されて肺呼吸できるようになるはずが、胎便の影響で肺の羊水を出せなくなり、呼吸ができなくなる…という状態を指すらしい。
赤ちゃんはお腹の中にいる間は基本的に胎便を出さないのだが、なんらかの原因で酸欠になると、苦しくなって羊水の中で胎便を出してしまうんだとか。
胎便で羊水が濁ることは5〜10%の確率で起きることだが、その中でも胎便吸引症候群になってしまうのは、更にその中の5%前後らしい。

そして、赤ちゃんが酸欠になる原因は諸説あるが、我が子の場合は「出産時、頭部に臍の緒が絡まっていたので、もしかしたら臍の緒が絡まったことで臍帯が圧迫されて、酸欠になったのかもしれませんね。」とのことだった。
 
ひとまずこの日時点では、重い後遺症が残る心配はないと言われて安堵した。 

4日後には我が子のいる病院に行き、NICUで面会することもできた。
その日にやっと泣き声を聞くことができた。
この瞬間、やっと我が子と出会えたことを実感し、感動で涙が止まらなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー余談だが、我が子は産まれた直後のアプガースコアが2だった。
アプガースコアとは新生児の元気レベルのようなもので、スコア10点満点中、0〜3は重症仮死状態といわれる。

https://kango.mynavi.jp/contents/nurseplus/dictionary/agyo/a/20230301-2158538/ より引用


分娩室で我が子の蘇生処置の様子を遠目に見ていた感じだと、我が子はアプガースコア2の態から30分以上経過してもスコアは良くならなかったように見える。だからこそ、よくその状態から巻き返せたなと感心した。
とはいえ酸欠の時間が長かったのは事実なので、今後の発達に影響がないか毎日心配しているし、胎便吸引症候群の子は喘息になる可能性が高いらしいので、まだまだ油断を許さない日々が続いている。

それでも、生きてくれているだけで親としては嬉しいものだ。
本当に、頑張ってくれた医療関係者と我が子には感謝しかない。


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   私は医療関係者ではないので、今回の胎便吸引症候群や重症新生児仮死といった症状がどれほど重いものなのかはわからない。
もしかすると、現場の人たちからすれば、これくらいは「よくあること」として軽く見られているかもしれない。   


それでも私は、妊娠出産というのは奇跡の連続なのだと痛感させられた。

子どもを授かることも、妊娠を継続できることも、そして無事に生きて産まれてくることも、全部奇跡。
決して当たり前のことではない。


だからこそ、今街中を走り回っている子どもたち、ベビーカーですれ違う赤ちゃんたちの存在が本当に尊く思える。
そしてこれから産まれてくる全ての赤ちゃんが、無事に産まれてくることを心から願っている。





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