息をするように
つい先日「ぼくが生きてる、ふたつの世界」という映画を観た。
主人公は耳のきこえない両親をもつ男の子、大。
両親が耳がきこえなくても、幼い大は大好きな母の通訳ができることに喜びを感じ普通の楽しい日常だった。しかし次第に、周りから特別視されることに戸惑い、母の愛情や明るささえ疎ましく思うようになる。心を持て余したまま20歳になり、逃げるように東京に旅立つ。
きこえる世界ときこえない世界を行き来しながら生きる大の葛藤を描いている。
わたしは今年の4月から手話講座に通い始めたから、ろう者の方々の日常生活での大変さや、文化をほんのちょっとだけだけど知っている。
喋ってる相手の口の動きで、ことばを読み取ろうと頑張っていること。
人が来た時の合図とかは電気をチカチカさせて知らせること。
拍手は手を叩くんじゃなくて、両手でひらひらひら〜ってさせること。
映画の中でも、「あ、これ知ってる。」って思う所とか、字幕見なくても何て言ってるかわかったところがあってほんのちょっと嬉しかった。
手話の勉強をしたおかげでこの映画にも出会うことができたんだよなあ。
劇中では、大が産まれてからアラサーくらいまでの時の流れが約100分の中にぎゅっと詰まっている。
映画のワンシーンで映し出されてる以外にも、もっともっと計り知れないほどの大変なこと、いっぱいあってるんだろうと胸がしめつけられた。
そして、大もいろいろな葛藤があってもどかしかったと思うけど、やっぱりやっぱりすごいのは大のお母さん。
大を守って、一番に考えて、想い続けて、愛情をそそいで立派なひとりの大人に育てて、笑顔で見守ってくれている。
最後の駅のホームのシーン、大のお母さんの背中が小さくなるところ。
どんな時もお母さんが必死に向き合って、愛情をそそいでくれたところを思い出して大が泣くところ。ジーンときた。
時間は有限。離れてから、居なくなってからじゃ遅い。息をするように感謝の言葉をさらりと伝えられる自分でいたいなあ。