どれも夢なんかじゃない
僕らはどこに行くのだろう。
「語るに落ちる」とは「語るほど価値がない、つまらない」という意味はないそうです。
「語るほどの事じゃない」「語るだけ虚しくなる」
「言葉にすればするほど悲しくなるだけ。」でもないそうです。
本来の意味は
「聞かれても答えないのに、自分から話し出すとつい本心を出す」
という意味だそうです。
「語ってしったらお終いよ」「語った時点でもうオチよ」でもありません。
「自分からペラペラと痛々しくも語っちゃってるよ」でもないそうです。
「無様な自分に気も付かず、さも、解った気に言葉並べているよ」
でもないそうです。
本来の意味は、
「問うに落ちず語るに落ちる」ということわざを略したもので。
他人に質問されている時は警戒して秘密を守っている人でも、自分から話をする時には、うっかり本当のことを口にしてしまうものだ、という意味だそうです。
無知は罪。 本当に改めて、「無知は罪」よ。
次は「無知は罪」の本当に意味を調べようかな。
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この夏は一体何だったんだろう。
馬鹿らしくて、情けない。あまりに無様、虚しすぎる人生だな。
何をしてたんだ俺は。
いつからか一人称が「僕」から「俺」に変わっていたよ。
本音が口走る時、「僕」から「俺」になっていたの。
なんだそれ。
本当に馬鹿らしい。本当に馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しい、なんて馬鹿な人生を過ごしてしまったのだろう。
取り返しがつかないと思うから悲しみが増すばかりだ。
こんな事を言ってしまうともう終いだ。
あれは何だったんだよ。夢だったのか。。
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「この北の地、札幌にて最後のステージを行えることを、わたくし大変幸せに思っております。
(中略)
歴史というものは大変素晴らしいもので、終わる歴史もあれば続いていく歴史もありますね。そういった札幌の、わたくしが影響を受けておるバンドの人達はずーっと、こう、歴史が続いていってるわけですね。その分その重さを、この、作品に著していく、おる、わけですね。
そういう表現、歴史から派生する表現をされている方々です。
わたくしも、そういった自分のその心の奥底から湧き出る自分の歴史、自分の思想、色んな物を全部ひっくるめてこういったロックンロールに表したいと思って、そしてそういった先人達、この札幌のバンド達のようになれればいいなと思ってやって参りました。
まぁ、少なからず少しだけは近づけたんじゃないかと わたくしは誇りに思っております。
こういったあのー1995年、夏からの、我々自力を信じてやってきた、このナンバーガールの歴史を、今ここに、終了する。
福岡市博多区からやってきた、ナンバーガールです
ドラムス、アヒトイナザワ 」
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「どんな良い事も嫌な事も、まあ、願おうが願わまいが。終わります。
いずれ終わりますというか、すぐ終わりますけども。
終わるけど。繰り返します。またやってきます。
良い事も嫌な事も。
すぐ終わるけど。また必ずやってくるから。
そん時に向けて、今回の経験をどう生かすか、どう自分を強く持つか、本当の勝負。甘やかしてくれる誰も人なんかいない。誰も助けてくれない。
今回の事でマジで身に染みて解かっただろ。
弱いままで良いよ、なんて嘘です。弱いと殺されます。
強く賢くなりましょう。」
上はナンバーガールの2002年11月30日、解散の時の台詞。
下は呂布カルマの2021年6月23日 Be kenjaのライブの台詞。
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