
また神山に行きたくなった春
「○○ちゃん死んだらダメよ。優しい人は死んだらダメ」
「言ったら悪いけど、その子が死ねばいいのよ。そういう子が死ねばいい」「でもさ誰が死んだって世の中はそう何も大して変わらないのよ。」
宝物は残しておかなきゃね。これが僕の仕事です。
お姫様との想い出も残しておければいいのにね。良かったのにね。
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「君は解っているんだよね」
確かそんな言葉を貰った記憶がある。
「○○は先の事が見えすぎるんだよ」
「○ちゃんは人の事をよく見てる、よく分かってるわ」
僕はそこまで当てる力がある訳ではない。
今で言うと、「自分の中の小さな見える世界の事なら先読みが大体で読む」というのが遠からず近からずの答えだと思う。
でも今はあの時と違って、そこまで病んで堕ちたり、振り切って空回りして、ノイズで焼き切れてパンクする事も死ぬことも無いのよ。
例えば。
今までは、(A)の事象に対して、次の行く末(道)をパターン化して、そこに群像する人や物の動きや心境を、人々や場面の群像模様を想像(想定)して、そこからフローチャートを描いて、そこに合わせた台本を僕の中で用意して、あとはその話がどう進んで転がっていくかに合わせて自分の身のフリをあてる。
でも、その次に進んだとして、どこかで情報過多みたいになってしまう。
心が弱いのだ。力が無いのだ。
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神山の祖父の里は、まだ梅の花も咲いていない。
けれど、ここ最近で一気に春らしくなった。
温かくなって、このままいけば春になる。
僕の家の前の桜並木は、まだまだ先。でも夏になれば葉桜になる。
僕は彼女を想い出すので、まだこの桜が憎い。
けれど「死にたくなるほど憎い」とは言わない。
今日は仕事が終わると、予定を一気に変更して纏めて、大阪に行こうかと思って考えている。それも時間と僕の気分。
風が吹いたら。
要は風 次第。
音楽を聴いて 僕はまた歩き出す。
0から1は大変な時間と労力が掛かる。
人生や何か全てを賭けないといけないの。
命を賭けるのかも。
でもね、所詮は人間。
金じゃないけど、幸せとは。
所詮は僕ら、肉の塊。欲と業の塊。
だから、快楽のままに沈むのも、
ひと想いに駆けて翔ぶのも自由よ。
では、またね。