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岩手旅行(3)花巻

花巻は宮沢賢治のふるさとです。
今回は賢治の足跡をたどりました。
宮沢家の菩提寺 身照寺を訪ねました。

宮沢賢治の墓

昭和8年に宮沢賢治は37歳で亡くなりました。
9月21日が命日です。
左側の賢治の墓にはお花が沢山供えられいました。

右側の墓は先祖代々の墓です。

身照寺

賢治の生家はピンク色の家でした。

宮沢賢治の生家

賢治の実家は弟清六が跡を継ぎました。

賢治は若くして、亡くなりましたが、弟の清六は2001年97歳で亡くなりました。生涯兄賢治の作品の保存と研究に貢献しました。

生家

実家は孫が跡を継いでいます。

孫の宮沢和樹さんは喫茶店林風舎を駅前で経営しています。

林風舎に行きたかったのですがお休みでした。

この道を行った所に羅須地人協会(らすちじんきようかい)がありました。

農学校を30歳で退職した賢治はこの場所に羅須地人協会を設立して、理想の教育の実現に挑みました。

その場所に雨ニモマケズ詩碑が建てられました。

雨ニモマケズ詩碑

石碑の字は友人の高村光太郎が書きました。

雨ニモマケズの詩
下ノ畑ニイマス

賢治は羅須地人協会を留守にして、畑にいる時は黒板に 下の畑にイマス と書き置きしてました。

詩碑のある場所から、下の畑が見えます。

下の畑

この場所は早池峰山や北上川や下の畑が見えます。
賢治の愛した原風景です。

イギリス海岸

賢治は北上川の河原をイギリス海岸と呼んでいました。
生徒を連れてよく遊びにきました。

いまは水量が多くなって河原の川床は見えませんが、昔は泥岩から、化石が見つかりました。

モニュメント
北上川
1980年代の川岸の様子


1980年代のイギリス海岸の写真です。

花壇

雨の中タクシーを使って賢治の足跡をたどりました。

最後にマルカンビルでタクシーをおりて、マルカンビル大食堂でお昼を食べました。

マルカンビル大食堂

地元の人に愛される元百貨店の大食堂です。

10段巻きのソフトクリームは260円で安いです。
箸で食べるのが花巻流なので、私も箸で食べました。
1人では量が多いので、2人で分けました。

ポスター

花巻駅に貼ってあったポスターです。一昨日泊まった峡雲荘が写っていて、嬉しくなりました。
岩手旅行は花巻を最後に帰りました。
涼しくて過ごしやすかったです。

   2023.9.28(木)

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