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辰年の年女の厄年、辰年の子を産む。
東北の冬は、やっぱり寒い。
そろそろ畳を開けて、掘りごたつで暖をとりたい季節だ。
こたつにはやっぱりミカンが欲しい。
そして、あったかい緑茶なんかがあると最高だ。
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激動だった2024年も、ついに残すところあと10日を切った。
もうめくられることのない今年のカレンダーを見ても、そんなに驚きがないのは、とにかく1日1日を精一杯生きたと思えるからだろう。
このところ、一日の流れも自分で作れるようになってきたと思う。前のnoteにも書いたように、少しずつだが、赤ちゃんの機嫌を取るのも上手になってきたし。何より、3時間おきの授乳生活がほとんど苦にならないほど慣れてきたのが大きいかもしれない。
先日、大学の同期で一番仲の良い友達が遊びにきてくれた。
おしゃれなカフェで友達とまったりティータイムなんて、本当に久しぶりだ。その日は子どもも旦那に任せることができたので身軽だ。毎週のようにカフェに通っていたあの日々が、霞んでしまうほどに今は遠い。
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彼女は結婚して5年ほどだが、いま第一子を妊娠して5ヶ月目。
実はこれまで、「子どもはまだいいかな。」と、ゴルフと旅行三昧の自由気ままな夫婦生活を送っていた。
彼女は昔から自由に愛される、本当に幸運の持ち主で、一緒にいるだけで、なぜかこっちまで運が良くなったような気になる、不思議な存在だ。
そんな彼女は子どもについて、「まだ」とは言っていたが、実際子どもがいなくても充分に日々の暮らしを楽しんでいて、どちらかというと子どもをつくる気がなかったのだと思う。去年まで独り身で、結婚願望がそんなになかった私でも、いいなぁ楽しそうで・・・と彼女の充実した結婚生活が羨ましかったものだ。
ただ去年末、私の妊娠を機に、彼女の考えが変わったようだった。
「どう?子どもって。」
私が安定期に入ったころ、二人で都内のカフェに行った時だった。
おや、と思った。いつもふわふわにこにこしていた彼女が、その日はちょっと真剣な顔をしていたのだ。私たちも長い付き合いだ。その時点でなんとなく彼女の言いたいことは察したが、私から言うことじゃない。
「うーん、出来たときはすごく嬉しかったよ。まだ産んでないから本当のところは分からないけど。笑」
と答えると、「そっか、そうだよね。」と、やっぱりいつも違い、ちょっと悩んでいるような表情だった。そして、
「のん(←私のこと)の妊娠を聞いて、ハッとしたんだ。なんか私もそろそろ考えた方がいいのかなって。焦りとかじゃないけど・・・でも私たちももうアラフォーだしさ、どうかな。」
そう。私たちは今年36歳の辰年の、厄年だ。笑
昔からあんまり自分のペースを崩さない彼女の考えが、そんな風に変わると思っていなかったから少し驚いた。しかも、人生において結構重要なターニングポイント。
彼女のその言葉を聞いて、私も内心は大喜びだったが、センシティブな話題でもあるので、なるべく平静を装って相槌を打った。
「うん、いいと思う。すごく。ゴルフも旅行も、もういっぱい楽しんだでしょ。」
と笑うと、彼女も「それもそうだね。」と笑った。
それほど言葉を交わさなかったけど、目の前で彼女の意思が固まり始めたのがわかったから、それで十分だった。
「まだ同学年も間に合うよ。」
と半分ふざけて、半分本気で私は言った。
・・・
それから数ヶ月後、「出来たよ。」の報告がきた。
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しかも本当に、ギリギリ同学年の子どもだったので、私の中での喜びは倍以上だった。
そんな彼女が、身重の体で福島まで会いに来てくれたのだ。
近況を報告し合いながら、美味しいコーヒーを飲み、好きなスイーツを食べる。久々の至福の時間だ。少し膨らんできた彼女のお腹を見ながら、どんな子が生まれるかな、楽しみだね、なんて。
「まさか私たちが、田舎のカフェでマタニティートークとはね。」
ふとその光景を客観的に見たら、お互いの境遇がまるっきり変わっていることが可笑しくて、そしてなんだか嬉しくて笑えた。
なんせ私たちは、大学時代からずっと自由気まま、お互いが将来家庭を持つなんて考えられなかった二人だ。変われば、変わるもんだねぇ、と。
「のんは、妊娠してる時、何が一番辛かった?」
不意にそう聞かれて、「あれ?」と思った。なんだこの違和感は。
よくよく頭を巡らせると、初期の辛かったつわりも、通勤電車の気持ち悪さも、しんどかったお腹の張りも、全然思い出せないことに気がついたのだ。えーっと、、と私が言葉に詰まっていると、
「今トイレめっちゃ近くてさ、寝れないんだけど。それあった?」
ハッとした。あれほど眠れなくて常時不快感拭えなかったあの日々を、全く覚えていないなんて。
「あった。あったあった!すごい辛かった!今思い出した。」
前にも書いたかもしれないが、妊娠を期に体のホルモンバランスや体調が著しく変化する。色々あるそれらの変化の中で個人的に一番苦しかったのが、その《頻尿》だ。
妊娠していると、赤ちゃんの成長に伴い、特に膀胱が圧迫されていつ何時も尿意を催しているのだ。
私の場合、病院でも「ちょっと膀胱炎気味」と診断され、トイレで尿を出すだけなのになかなか出ず、20分以上もトイレに篭っていたこともしょっちゅうだった。少し出たからとホッとしてベッドに入ると、また催す。。こんな状態なのに、病院で必ず言われるのは「脱水になるから水分は摂らないとだめ。」だ。
その繰り返しだったので、まだ3月の夜中など、寒いし体調も悪いしお腹も張るし尿意は消えないしで、本当に地獄だった。
そんな地獄の日々さえも今や全然思い出せないのは幸せなことだが、なんだか自分が無責任にも思えて、少し複雑だ。彼女にそう伝えると、
「そんなのも全部忘れるほど、今が充実してるんだね。」
と言ってくれた。
その頻尿エピソードから芋づる式に、妊娠していた頃のいろんな痛かった苦しかったことが思い起こされたが、やっぱり遠い過去だった。ただ目の前にいる彼女にとっては、それは今まさに体験している最中なので、あまり笑い話にはできないが。
そう、振り返れば不安とか辛いことはたくさんあった一年だったが、それを全部差し引いてもプラスプラス、プラスでしかない今がある。むしろその辛かった経験さえも確実にプラスになっている。
彼女の一言で、そう気付くことができた。
次に会うときは、彼女も赤ちゃんを連れていることだろう。
とにかく、無事に元気な子を産んでほしい。ただそれだけを強く願っている。
余談だが、私は辰年で、年女の厄年。
暦的にも個人的にもいろんなものが重なってすごい一年となった。
去年、一昨年とあまりよくないことが起きてずっと不安を抱えていたので、本厄の年はどうなっちゃうのかと心配していたのだが、ある時、
「のんやったね!厄年に出産すると、厄全部落ちるんだよ。」
と親友が教えてくれた。
私を元気付けるための方便かとも思ったが、調べたらどうやら本当らしかった(調べてごめん笑)。でも、母親の厄が落ちて子どもに行ってしまうのでは?という心配もしたが、出産と赤ちゃん誕生自体が、ものすごく神聖な事象なので、厄がすっかり落ちてしまうということらしい。
出産を経験して、産まれたばかりの赤ちゃんの顔を見ていると、さもありなんという気がしてくる。この上なく神聖で、純粋で、愛に溢れた存在。どんな邪悪なものも払い除けてしまいそうなほどの光が、ここに在る。
ちなみに、厄妊娠期にいくつかパワースポットに赴いたので今度まとめて書こうと思うが、新潟県長岡市の「高龍神社」は特に良かった。
私も生まれてくる子供も辰年のなので、龍神様を祀っている神社を探していたら、たまたま旅先で高龍神社の近くを通ったのだが、そこがかなりのパワースポットだったとあとで知る。
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この神社は、主には商売繁盛のご利益が謳われているが、他にもいろんなご利益があるらしい。妊婦にはだいぶきつかったが、神社は118段の階段を登った高所に据えられ、その境内は驚くほど小さい。その狭い境内にも関わらず、多くの人が参拝に訪れていたのだ。
気のせいかもしれないが、その場所に辿り着いただけで、何か肩がすっきりと軽くなったような感じがした。帰りには、高龍神社のお札を求めた。
元気な辰年の赤ちゃんが無事にうまれたことのひとつには、この高龍神社のお陰様もあるかもしれない。またいつか行って見たいパワースポットの一つだ。