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【遺書日報_サードシーズン】2021年8月29日-9月2日

友人から『手の倫理』という本を紹介してもらいました。今度読んでみようと思います。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000345814


人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。
介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面で、
コミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。
ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意志や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野の通路となる「ふれる」へ。
相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部へと浸透しつつ、相手との境界、自分の体の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。
目ではなく触覚が生み出す、人間同士の関係の創造的可能性を探る。


この本を紹介された時、丁度触れることについて考えていました。ただ、私の場合は人と人ではなく、人と物の間での出来事を思い浮かべていました。


私は、物に触ることに抵抗があります。自分の手が汚れることや、自分の手によって汚してしまうことを恐れているからです。

小学生の時分は学校に常備されている雑巾が苦手でした。真っ黒になった雑巾で机を拭いても意味がないとずっと思っていましたし、その考えがどんどん広がって、学校の備品と私との関係は常に汚し汚されのループを辿っていました。ひとり暮らしをするようになっても、物と私は汚し汚されの関係をキープしていました。

しかし、最近YouTubeでVlogを頻繁に見るようになって少しずつ考え方が変化してきました。動画に映っている人々が、新しく購入した物や普段使っている物を愛おしそうに手で持ったり撫でたりしながら紹介している様子を見て、汚し汚され以外の関係性を物と築いてみたいと、ふと思いました。

今は、私と物との間に新たな関係性を築けるように、絶賛努力中です。最近は整理整頓、修繕や料理などの手仕事が楽しく感じられるようになりました。が、時々面倒くさくなって、何もかも諦めて、家事の類を全くやらない時もあります。今日はダメでも明日は大丈夫だろうと思って自堕落に過ごしています。この日報もダメな時は放置しようかなと思っています。


今日は大丈夫な日だったので、浅漬けを仕込み、ほうじ茶ラテを淹れ、遺書日報を書きました。大丈夫な日が博打になりつつあるので、安定して大丈夫になりたいです。


これにて本日の日報は終わりです。

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