【遺書日報_セカンドシーズン】2021年2月25日
こんばんは。今日も書きます。
昨日、my時間軸の話を書きました。
つまり、my時間軸的には今は午前2:00前なので、2/26の日報になってしまっています。しかし、日本時間では23:50過ぎなので、2/25の日報として投稿して問題ありません。私は2日連続で何を言っていますか?
さて、今日は、ADHD傾向に対する気づきについて、少し書きたいと思います。書けなかったら諦めます。
ちゃんと病院に行ってADHDの診断をしていただいたのは、成人してからでした。病院では、子どもの頃から症状があったのかと聞かれて、薄らぼんやりした記憶を辿って「あったはず」と答えていました。
正直、自信がありませんでした。私はいたって普通の子どもだったんじゃないかと、もしかしたら病院で嘘をついてしまったんじゃないかと、時折不安になります。
そのため……かどうかは分かりませんが、たまに自分の幼少期のエピソードを頑張って思い出そうとするクセがあります。
今日も今日とて頑張って幼少期の記憶を掘り起こしていたのですが、ふと疑問がわきました。「社会的におかしなことをしてしまったと自覚できているエピソード」が少ないだけで、本当はもっと無自覚にやらかしまくっているんじゃないかと。
自分では普通だと思っていたことが、全くもってメジャーじゃなかったというところから困り感を抱えるパターンは、結構多いと思います。
ということは、幼少期にとある言動についておかしいと思ってなくて、大人になってからもそれに気づかず……という流れが生まれると推測されます。
一人暮らしをし始めてから生活が成り立たないことに気づく。
働き始めてから人間関係がうまく構築できないことで悩む。
気づきのある環境に身を置いているからこそ、「今困っていること」については相談ができても、「幼少期から発達障害の症状は出ていましたか?」と問われても、「何がアカンムーブだったか全く判定できん!!!!!」となってしまうのかも。
明日は子どもの時の言動について、もう少し深掘ってみたいなと思いました。果たして深掘れるのか否か。ダメそうだったら諦めます。
これにて本日の日報は終わりです。
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