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「元通り集まってほしい」勢力と「集まりから自由になりたい」勢力との政治闘争が始まる予感がするという話。

 なんともアクセス数を稼げなさそうなタイトルですが、本文を読み返して、まあこういうタイトルが実態だよなと思ったので、こうしました。アクセスいただき、ありがとうございます。

非集環境で注目されたビデオ通話

 疫病の影響で、様々な問題解決に当たって「集まる」という手段を抑制せざるを得ない状況を、僕は「非集」と呼んで注目してきました。

 一方で、非集状況とはいえ、人々はなんらか他人と意思疎通を求めてきました。その中で期待をもって注目されたのは、オンラインビデオ通話という装置でした。

 ところが、この装置はいまだ誰しもが気軽に使えるものではないということがわかってきました。それは技術的な問題というより、要するにまだ普及しきっていないんですね。例えば端末が古い、ネット環境が不十分、リテラシーが足りない、などです。オンラインビデオ通話という公共財を恒常的に維持する仕組みができていないわけです。

かつては水道も電話もテレビも普及していなかった

 では、オンラインビデオ通話というのは、非集で価値創出するうえで使える手ではないのか、というと、そんなことはないんです。繰り返しますが、普及までにかかる時間の問題だと思っていて。

 というのは、僕はいつもたとえで出すんですけど、例えば水を手に入れるのに、昔は井戸に集まるしかなかったんですね。しかし、近代的な水道が普及することで、僕らは井戸に集まらなくてもよくなった。家の中で蛇口をひねれば水が得られるようになったからです。

 同じように、テレビでもそうですね。昔はまちの電気屋の前に置かれているテレビに集まって力道山の試合を見てたわけです。しかし、いまや一戸に一台、いやあるいは一部屋に一台あるかもしれない。

 電話もそうです。ちょっと前まで地元の名士の家にしかなかった。みんなそこに集まって電話していたんです。ところがいまや一戸に一つどころか、誰しもが掌の上に電話を携帯しているわけです。

 水道もテレビも電話も、本来高度な仕組みです。僕はゼロからこれらの機械をDIYする自信はまったくありません。それくらい、高度な機械が、しかし当たり前のように人々に広く普及している。というか、もはや無い状態は考えられない

 たぶん、オンラインビデオ通話もそういう仕組みの一つで、今はまだ普及しきっていないから、不便さが目立つかもしれませんが、本当に必要なら、水道や電話やテレビと同じような変化をたどっていくのは、時間の問題でしょう。

インフラが普及することで、人々は「集まる」ことから解放される

 こうして便利な道具が普及していくと、僕らは集まるということからますます自由に生きていけるようになるでしょう。しかしその自由さは一方で分断とも呼ばれることになるでしょう。

 まちづくり分野ではいまもロマンティックに語られる井戸端会議という文化も、「集まらねばならない」という不自由さの上に成り立っていました。しかしその文化は、水道が普及したことで失われ、ロマンの中でのみ語られるような「古典芸能」になりました。

 もちろん、「その不自由さが、副産物的に、人々のつながりや対話の場を形成することに貢献していた」という指摘を僕は否定しません。例えば、川上浩司さんは「不便益」っていう概念を提案しています。

 川上浩司さんの本には、こんな例が紹介されています。富士山の頂上に立ちたいとする。じゃあ、ヘリで頂上まで連れて行ってあげますよ、と言われて、楽しいか、というと、楽しくないわけです。登る過程の苦労やドラマといった「不便の副産物」こそが重要なのであって、「富士山の頂上」というのは、その副産物を得るための「方便」として機能していたわけですね。

 不便の副産物に主観的価値があることは否定しません。しかし、川上さんもいうように「だから不自由なほうがいいんだ」という話ではないんですよね。「集まるしかない」というなら、やっぱり「その井戸付近に病気が流行ったら、誰も水が手に入れられなくなる」わけです。

 じゃあ、水道やテレビや電話が十分普及していない、それゆえに集まらざるを得ないとすると、それは一体なんと呼ぶべき状況か、というと「インフラの貧困」ですよね。災害研究では、いわゆる「災害」には二つの側面から成り立っていると言われるそうです。まず、地震や津波などの「自然現象」を「ハザード」と呼ぶと。その一方で、その自然現象の影響で生じる社会現象を「災害」と呼ぶそうです。例えば、社会的に貧しい人が、山際や海辺に家を持たざるを得なかったとして、山ぐずれや津波でたくさん人が死んだとすると、それは自然現象ではなく社会現象でしょ、というわけです。つまり、ハザードと災害は別だっていうわけですね。

 今回疫病をきっかけとして私達が直面した災害は、この「インフラの貧困」に由来していたわけです。病院やビデオ通話のインフラが脆弱であったことが、医療崩壊の危機や、ビデオ通話に乗り切れない人々を生んだわけですね。

 まちづくり分野で非集が問題化したのは、このインフラの貧困ゆえなんです。僕はインフラが豊かになるほうが良いと思います多少、分断したとしても、ひとりひとりの人間のの苦しみを減らすことにつながると思うからです。

「自由になってもらっては困る、元通り自分のところに集まって欲しい」勢力と「自由になりたい」勢力との政治闘争が始まる

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