人々の行動変容に向けて効果的な手法を考えれば考えるほど、その手法はナッジめいてくるって話。
こないだ、珍しいことに環境保護に関する取り組みについて考える場面に参加することがあって。環境保護のためには、よく言われるように「市民一人一人の行動変容」が必要なんですよね。例えばごみをちゃんと分別するとか、こまめに電灯を切るとか、食品ロスを減らすとか、まあ、そういう決して派手ではない、こまめで日常的な生活の変容がいるわけです。
これって派手ではないけど難しいもので。例えばビジネスであれば、お金を渡したり契約を結んだりすることで、相手の行動を変容させることが可能です。
しかし、ごみの分別や電気の節約といった営みは、ビジネスのようにお金や契約が原因で行われるものではない、まさにボランタリーなもので。お金や契約を原因にしないということは、翻って「楽しい」とか「やりがいを感じる」とか「あの人がやっているから私もやらなきゃ」といった、人々の感情を原因として頼りがちになるってことで。で、こういった感情は基本的に長続きしないものなので、結果、継続性が弱まりがちです。
かといって、本人の意思を無視して強制するなどということは当然ながらできません。一体どうすればいいのか。
というような問題系において、一つの可能性を示しているのが「ナッジ」という考え方で。那須耕介・橋本努編著『ナッジ 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』て本がありまして。
ナッジとは「それとなくほのめかす」という意味の英語で、転じて、罰則を設けたり、利益を与えたり、説得したりするのではなく(3頁)、誘導するとも見えない誘導の形で人々の行動を変容しようという概念として使われています。ナッジは、環境保全や肥満の防止、事故や犯罪の予防などに有効であるとして、近年関心が高まっているものとされています。
ナッジの身近な例では、八王子市が大腸がん検診キットを対象者全員に無料で送っていますが、その際に「今年受診しなければ、来年はキットが送付されません」という案内をセットで送っています。すると、受診率が7.2%増えたといいます。
また、JR西日本が線路と水平に置くのが一般的だったベンチを垂直に設置しなおすことで、酔っ払って線路に転落するということを防いでいるそうです(2頁)。
こういった「一工夫」がナッジなわけですね。で、このような「工夫」によって私たちの選択と結果がコントロールされる環境の在り方を、「選択アーキテクチャ」というそうです。私たちはこの、誰かが設計した選択アーキテクチャの中に知らず知らず身を置いており、自分の意志で選んだつもりが選ばされている、というわけです。
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