「地域の担い手不足」という言葉を頭数の問題ではなくて人格的な成熟の問題として考えてみる話
加入率100%の町内会を作るというリサーチアクションをした
以前、ちょっとしたリサーチアクションをしたことがあった。町内会の加入率低下が問題になっているという。ならば、町内会加入率100%の町内会を作ったらどうなるか。どうすれば作れるか。そういう思考実験は昔からしていた。
5年ほど前、たまたま引っ越した先が町内会がない地域だと知って、じゃあ先のような問題意識から、新設してみようと考えた。私が町内会長で、妻が副会長。二人だけの町内会だ。加入率は100%である。
そして、この二人を、三人、四人・・・と増やしていくこともできるとわかった。趣旨に賛同する人と一人一人約束していけばいいのだ。
ここで分かったことは、加入率100%の町内会は別に作れる、ということだ。規模を個人間の約束で成り立つ程度に小さくすればいいのだ。
詳しくはこちらにもまとめている。
町内会と似て非なる「チョウナイカイ」から考える、「町内会のコアとは何なのか」問題
しかし、当然ながらこうして作り上げられる町内会は、いわゆる一般的な町内会とは性質が異なる(なので以下、チョウナイカイとでも呼ぼう)。チョウナイカイは、一般的な町内会に比べて「崇高ではない」ということだった。崇高ではない、というのは、ただの友達サークルと変わらないし、町内会長だからといって尊敬されもしないし、行政からあれこれお願いされもしない、ということだ。
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