私は恩師にいっぱい食わされたのか?問題を考える
こないだふと思った話で。
何回か書いてるけど、私は大学でご縁を得てまちづくりについて学ぶことになったんですね。その時、恩師が言っていた言葉で今でも覚えているものがありまして。それは、「まちづくりは持たざる者の武器だ」というもので。
「持ってる者」、つまり優れた身体や知能、たくさんのお金や、高い権威や地位、莫大な資本を持っている恵まれたプレイヤーなら、様々な生活上の困りを資本でゴリ押しすることで解決できるかもしれない。しかし、そうではない、「持たざる者」にはそういう手が取れないんですよね。
じゃあそういう「持たざる者」はどうしたらいいのかっていうと、持ってない人同士より集まって協力をするしかない。力を合わせて、どうにかこうにか困りを解決するのだと。その協力の営みのひとつの表れがまちづくりだろうと。
そういう含意のあるメッセージとして当時の私は受け取り、それは素晴らしいじゃないかと強く思ったのを覚えている。しかし、その力を合わせて協力する、というのが、どうも期待する程には自然発生しないっぽいんですよね。
とするならば、その協力行動の十全な実施を促す一定の政策的関与が必要で、例えばそれは「コミュニティ政策」なんて呼ばれたりしているんですけど、それは一体どんな方法論なのか、どないしたらええねん、ということを考えたいと思って大学院で研究を重ねてきたよ、というのが、ものすごく大雑把に説明した僕の専門というか、キャリアなわけです。
しかしあれなんだね。こう、うまくいっているまちづくり事例を眺めていると、うまくいっているところは、「持ってる」よなあ、と思わされることがしばしばあって。
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