「定型発達キャリア」を諦めた時の話
ふと思い出したんだけど。
昔、もう10年以上前の話なんですけど、就職活動に失敗したか、就職したけど肌が合わなくて半年くらいで辞めただったか、どっちか記憶が曖昧なんだけど、っていう後輩がいて、「仕事をしたいんだ」って僕に相談があってね。
で、当時ぼくはまちづくりNPOで番頭さんみたいな仕事してたから、うちで雇えるよっつったら、え!絶対嫌ですよ!みたいなリアクションされて、面白かったのですね。
当時働いていたまちづくりNPOってのが、お給料はフルで入ってもたぶん14万くらいのお仕事で、しかもどんなスキルが身につくのとか、どんな転職可能性があるのっていうと、まあ、第二新卒カード切って、東京とかの大手企業の正社員に滑り込んだ方が絶対ええわな。
後輩からすれば「なんて恐ろしい提案をしてくる人でなしの先輩なんだ」と思ったかもしれない。人を道なき道に誘うメフィストフェレスだ。
いやだって、仕事がしたいっていうからさ、真に受けちゃったよ。仕事がしたいんではなくて、正社員として就職したかっただよなと。
で、じゃあぼくにもそういう人生の場面ってあったかなって思い返したんだけど、なくて。つまり、そういう「大卒でまともな企業の正社員になる」っていう「職業キャリアにおける定型発達」の可能性を、早々にあきらめてた気がするんよね。
ぼくが就活するタイミングってのが空前の就職氷河期だったそうで、僕らのことを朝日新聞はロスジェネとか呼んではばかってないけども、そういうことも関係しているっちゃしてるかもしれない。
が、その中でも定型発達していった仲間たちはたくさんいて、だからこれはご時世の問題というよりは、ぼくの人間性の問題の方が大きそうで。定型発達は自分にとってそもそも無理っていうか、分の悪すぎる勝負だって感じてた気がする。
だから、後輩が絶対嫌だというまちづくりNPOにも、スルッと入って、お勤めさせてもらった気がする。あ、誤解のないように書いておきますけど、楽しい仕事でしたよ。ほんと。
ただ、定型発達に未練があるなら、うん、こっちじゃないよな、とは思う。
で、大学院行って、なんか博士号取って、この辺りでさらに定型発達からは外れていく。気持ちの優しいキャリアカウンセラーの人なんかは「谷さんは専門性の高いキャリアなので」っていうけど、つまりこれは、定型発達してこなかったってことでね。
これ、定型発達してないのになんとかやってますよ、と努力とか能力とかを自慢したいってことではなく、まじで、運良く生き延びてきたってだけで。で、それは周りの人たちのサポートありきの結果であって。だからこそアレなんですよ、これからも多分、色んな人にお世話になりながら生きていくだろうから、僕も可能な限り、世の中や他人様に対して貢献できることはさせていただきながら生きていこうと思うんですよね。
サポートされると小躍りするくらい嬉しいです。